参院選、そして総裁選を経て高市新政権が誕生した激動の1年。橘慶一郎衆議院議員は、2024年10月から官房副長官として石破政権を支えてきた。1年余りの任期を終えた今、政権中枢での日々をどう振り返り、新たな年をどう展望するのか。自民党選挙対策本部の副委員長として直面する課題についても話を聞いた。

「岸田内閣から頂いたバトンをなんとか高市内閣に渡すことはできた」
官房副長官として政権中枢を駆け抜けた1年余り。橘氏はこの期間を、厳しい状況下での「中継ぎ」役であったと振り返る。

「まあ、参院選挙でも負けるということで、なかなか厳しい時期だと思います。その中でなんとか1年と1ヶ月弱ぐらいですかね。それでもなんとか政権が続いて、色々反省点もあるんですけど、ともあれ、岸田内閣から頂いたバトンをなんとか高市内閣に渡すことはできたと」
石破政権は、2度の国政選挙で敗北を喫した。しかし、その中でも「大きな懸案を残すこともなく、海外との関係もそんなに大きい問題もなく、万博ができたりとか、地方創生に目を向けられたとか、そういうところが良かったと思います」と、政権運営の成果を語る。
厳しい船出であった石破政権を支え抜いた1年だった。
「皆さんの期待に答えられる対策が十分に打てなかった」
一方で、選挙での敗北という結果を重く受け止めている。その最大の原因は物価高対策にあったと分析する。

「1つは、それまでの政治資金問題で、政治に対する姿勢を正せという、それはそれで1つあったとして、もう1つはやっぱりこの物価高ということに対して、特に有権者の方々が、スーパーとか、あるいはその生活されていく中で買い求められるもの、あるいはサービスの値段が、いわゆる3%っていうの消費者物価以上に、10%に近いくらいの規模で上がっていたと」
国民の生活を直撃する物価上昇に対し、有権者の期待に応える十分な対策を打ち出せなかったことが、参院選の大きな敗因になったとの認識だ。

「それに対する抜本的なというか、皆さんの期待に応えられる対策が十分に打てなかったということがやっぱり参院選の一番大きな敗因であると思っています」
この反省は、続く高市政権の政策に活かされていると橘氏は見る。
「今高市新政権になって、当然その選挙の反省等も含めて、今、ガソリンの暫定税率の廃止とか、あるいは、この年末ですけど178万円の壁で所得税を非課税にするとか、あるいは、給食無償化とか高校無償化とか、言ってみればやはり一連の懸案になっていたことは、一定程度、全部解決をするということになりました」
これらの政策が高市内閣の高い支持につながっていると分析し、「私どもの内閣でそこまでちょっと手がつけられなかったという反省がある」と率直に語った。
「緊張感って言うんですかね。そういう圧がやっぱり体にかかっていた」
官房副長官の職務は多忙を極めた。事務所に顔を出すのは1日に1度、立ち寄れるかどうかという日々。そのスケジュールは常に総理の動きと連動していた。

「総理の動きに合わせて動かなきゃいけないので、例えば夕食を交えて首脳会談をやると言ったら、いなきゃいけないし、G7の首脳との電話会談なんて言うと、やっぱりかなり深夜に及ぶというか。要するに相手の時間に合わせるので、そういうことで深夜に官邸に残るとか」
国会会期中には、総理の答弁調整のために早朝5時に官邸に入ることもあったという。
「国がやっぱり総理中心にと言えばいいのか、官邸中心にと言えばいいのか、やっぱり動いていかなきゃいけないので。そのことに関する、例えば災害があった時とか、例えば北朝鮮からミサイルが飛んだとか、そういう緊張感って言うんですかね。そういう圧がやっぱり体にかかっていたなっていう感じがします。今その圧がないなという感じがします」
国家の危機管理の中枢に身を置くことの重圧を静かに振り返る。
「最後ミャクミャクに内閣総理大臣感謝状を出してました」

石破前総理をそばで支えてきた橘氏。やり取りの中で印象に残っているエピソードを尋ねると、意外なキャラクターの名前が挙がった。
「石破さんはミャクミャクに出会ったんですよね。あの、万博の関係があって」
大阪・関西万博の公式キャラクター「ミャクミャク」。石破氏も最初は「なんだこれは」という反応だったというが、次第にその魅力に惹きつけられていった。
「途中からやっぱりずいぶん可愛がられて。やっぱりミャクミャクだってやっぱり人気が出なきゃだめだし、それで一生懸命ミャクミャクを応援しなきゃと思われたんでしょうね」
石破氏の「可愛がりよう」は徹底していた。声が出るように、英語が喋れるように改良を加え、それまでアジア圏が主だった関連グッズを国内で生産。国産のミャクミャクのぬいぐるみを、万博を訪れる各国の首脳へのプレゼントにした。
「で、最後は、閉会式の時はミャクミャクとハグをして、で、最後ミャクミャクに内閣総理大臣感謝状を出していましたけど、それくらいミャクミャクにはまってるんだなっていうか。でも、まあ、そのことによって随分ミャクミャクは人気が出たので、そこは1番、この1年間の中で、無から有が生まれたっていう意味では石破さんのその可愛がりようが、印象と言えば印象ですね」
「帰ってきたらもう、あの、全てが終わってた」
参院選敗北を受け、石破前総理が退陣を表明した日曜日。側近であった橘氏は、その最後の瞬間に立ち会うことができなかった。

「私は最後の瞬間は自分の、たまたまその日にぶち当たってしまったので、地元で自分の支援者への演説会をやっていたので、実は最後の瞬間はありません。帰ってきたらもう、あの、全てが終わってたっていうことだから」
富山での演説会を終え、退陣の一報を受けて東京へ戻った時には、すべてが終わっていた。
退陣という決断については、選挙敗北の責任を考えれば避けられなかったと受け止めている。
「選挙において私どもが立てた目標に到達しなかったということは事実だし、多くの仲間を失ったことも事実だし。で、その原因の中にやっぱり物価高対策っていうところで、これは政策の問題ですから。そういう意味ではまあ、どこかでやっぱり、そういうことについての責めは負わざるを得なかったんじゃないかなっていう感じは思っていました」
「元々の姿に戻る」
官房副長官の任を終え、迎える新年2026年。橘氏は自身の原点に立ち返る1年にしたいと語る。

「やっぱり1年間はほとんど官邸の中にいて、国全体っていう感じの。そこから、これでその仕事がね、終わったという状況の中で、もう1度、元々の姿に戻ると」
その「元々の姿」とは、選挙区を抱える一人の衆議院議員としての姿だ。この1年間、おろそかにせざるを得なかった地元の課題に、改めて丹念に取り組む決意を示す。
「皆さんの声をちゃんと聞いて、で、また地元のいろんな中で、国で解決しなきゃいけないこと、そういうものはやっぱり丹念に拾いながらやっぱり解決していくっていうことでしょう」
大きな課題だけでなく、見過ごされがちな「隠れている問題とか、滞っていること」にも目を配り、一つひとつ解決していく。「球拾いしていくような心境」で地元を歩くという。
「元々『地方から始まる新しい国の形』っていうのは初心ですから、その初心通りのことをもう一度、あの、丁寧にやっていくっていうことがこの1年かなと思っています」
「2026年選挙はないってこと」
高い支持率を維持する高市政権。衆議院の解散総選挙の時期については、当面はないとの見方を示す。
「まあ、セオリーはやっぱり2年以上は普通はやっていくっていうことでしょうし、高市さんの場合は、石破さんの残任ですからあと2年あります。だから基本はそれをやり抜きたいっていうのは普通じゃないかなと思っています。ということは2026年選挙はないってこと」

自身も「もし参院選挙で目標達成したとしていたとすれば、あと2年やりたかった」という思いがあったとし、任期を全うして政策を前に進めたいと考えるのが自然だと語った。
「選挙区の中で納得感がないとダメなんだね」
自民党選挙対策本部の副委員長としては、難航する富山1区の支部長選考問題にも直面する。この問題の鍵は、選挙区内の「納得感」にあると強調する。
「その選挙区の中の問題はやっぱり、選挙区の中で、いわゆる、投票権がある人たちの中で考えていくべき問題だと思っています。基本的にね」
「党本部が求めているのは、そういう納得感を持ってなきゃダメだよってこと言っているわけで、党本部がどうこうではないと思います。要するにどうあれ、結論に納得感がないとダメでしょと。その人たちが最後選挙するわけだから」
政権中枢での経験を経て、再び地元へ、そして党務へと活動の軸足を移す橘氏。激動の1年で得た知見を胸に、新たな挑戦の年が始まる。
(富山テレビ放送)
