2025年3月で自治体による営業が終了した新潟県村上市のぶどうスキー場。最も多いシーズンで最大2万人が訪れていたスキー場も約5000人にまで減り、営業終了を余儀なくされた。しかし、このスキー場を復活させるべく東京のIT企業が名乗りをあげた。新たにリゾート事業を立ち上げたIT会社の社長によるオープンまでの日々を追った。
少雪・リフト老朽化…25年3月で営業終えた『ぶどうスキー場』
新潟県村上市にある県内最北のスキー場『ぶどうスキー場』。
初心者コースでも傾斜は平均15度と難易度が高く、1988年の開業以来、公営のスキー場として地元の人だけでなく、多くのスキー愛好家に親しまれてきた。
25年2月に訪れたスキー客からは「斜面が急で練習にもってこいだし、食堂の皆さんもいい方ばかりでごはんもおいしい」という声や、地元の中学生からは「市内という身近なところで友達と一緒に滑ることができて最高の環境」という声が聞かれた。

ただ、地球温暖化による少雪の影響などで営業日数を確保することが困難に。
来場者数がピークとなった1990~91年シーズンには95日間営業し、2万1084人が訪れたが、2023~24年シーズンには41日間しか営業できず、来場者も5159人にとどまった。
さらに、リフトの老朽化などの問題も重なり、村上市は財政健全化の一環で25年3月をもって営業終了を決めたのだ。
ぶどうスキー場存続へ東京のIT企業が名乗り「なくすのはもったいない」
ただ、そんなスキー場の存続に向けて動きだしたのが、東京に本社を置くIT企業『シンクファースト』だ。
沼前純一社長はもともとウインタースポーツが趣味で、営業最終日にぶどうスキー場を訪れたという。
「滑ったらいいスキー場でなくすのはもったいないなと思ったし、地元の小・中学生が声をかけてくれて、その子が滑れなくなるのはかわいそうだなというのがあった」と沼前社長。
そこで、新潟とは縁がなかったものの、会社としてリゾート事業を立ち上げ、営業を継続させることを決意した。
村上市から施設・設備を3年間無償で借り受け「重要なものいただいた」
25年3月から交渉を重ね、10月に村上市との間で土地の賃借のほか、リフトやロッジなどの施設・設備を3年間無償で借り受ける契約を結んだ。

契約締結後、村上市の高橋邦芳市長は「この期間にしっかりと定着していただいて軌道に乗ってもらうことを切に願っているし、我々もできることはしっかりと応援していきたい」とエールを送った。
自身のキャンピングカーで、東京と村上を行き来した沼前社長。片道約6時間かけて10回以上にわたって村上市に通い、ようやく施設の引き継ぎに至った。
カギを受け取った沼前社長は「年季も入っていたので『重要なものをいただいたな』という気持ちと、『やっとやれるんだな』という思いが湧いてきた」と語る。
ぶどうスキー場でパトロールも レジャー事業のノウハウ持つ男性が支配人に
そんな沼前社長がスキー場の支配人に任命したのが、神奈川県出身の飯山達也さんだ。
2018年に村上市に移住し、シーカヤック施設を営業するかたわら、冬季はぶどうスキー場でパトロールとして働いていた。レジャー事業のノウハウがあり、スキー場にも詳しいことから白羽の矢が立ったという。
「地元の若者が私的にはいいなと思って声をかけさせてもらった」と話す沼前社長。
飯山支配人も「期待してくれているので、応えられるように頑張りたい」と気合いを入れる。
食堂スタッフと雇用契約 設備更新や新たなメニュー案について打ち合わせ
市との契約を結んだ翌々日には、ファンの多かったスキー場の食堂を運営していた葡萄集落のスタッフと打ち合わせを行った。

打ち合わせでは、老朽化して使えなくなっていた給湯器や食洗機などの設備の更新に向けて情報を共有したほか、地元の食材を使った新たなメニュー案について話し合われた。
また、スタッフと会社は雇用契約を結ぶことになる方針も示され、賃金について確認。
「今までがボランティアなくらいでしかもらっていなかったので、『最低賃金+いくら』とてなるとうれしい」と話す食堂スタッフに対して「そのぶん売り上げも伸ばしていかなくてはいけないので、おいしいものを頑張って作りましょう」と飯山支配人は呼びかけた。
「赤字にするわけにはいかない」売り上げ確保へ“新たな客層の獲得”目指す
市による営業が終了した理由の一つが赤字であるため、売り上げの確保が重要になってくる。

飯山支配人も「民間の運営になり、赤字にするわけにはいかないので、いかにお客さんに来てもらうかというのはすごく考えている。一つは年間パスポートを買ってもらうために、トレーニングにたくさん来てもらえるようなスキー場を目指している」とスキー場の方針について語る。
これまでのファミリー層だけでなく、急な斜面があることを生かし、技術向上を目的に訪れる人の獲得を目指すほか、ゆくゆくはコースを占用する“ゲレンデ貸し”の実施も検討しているという。
老朽化していたリフト コンサルタントが状態確認「悪い兆候ない」
この約1カ月後、リフト修繕のコンサルタントを呼んで、老朽化していたリフトの状態を確認していた。

沼前社長も「かなり大事な日。壊れていないかとか、そもそも今年また動くかどうかっていうのがわかるので」と緊張感をにじませる。
発電機を使い、リフトを作動させる。社長をはじめ、関係者も固唾を飲んでその様子を見守っていた。
その結果、コンサルタントからは「動いている状態としては悪いような兆候はない。とりあえずの印象としては良好」と、大きな問題はないということが告げられた。
「存続するのはうれしい」多くのスキー愛好家が手伝いに
ただ、リフトのモーターや制御盤が老朽化していて、遠くない未来に更新をしなければならないことも事実。そのためにも、営業をして利益を確保することが重要となる。
そこで社長は、スキー場周辺の空き家を借用。付近に宿泊施設がないことから、リノベーションしたうえで民泊として営業することを計画しているという。

「私もそうだが、泊まって何日も滑りたいという人も一定数いる」
その熱量が周りに伝わったのか、オープンを前にリフトに座席を取り付ける作業には、地域のスキークラブの会員など、多くのスキー愛好家が手伝いに集まった。
スキークラブの佐藤豊会長は「今年で活動をやめると言っていたが、シンクファーストさんが営業させるということで、クラブとしても協力しようかということで手伝いに来た。地元のスキー場でずっとやってきたので、存続するのはうれしい」と話す。
また、「オープンからずっと来ていて、生活の一部だ」と語る会員もいた。
食堂の営業継続決定 設備更新し“新メニュー”も誕生
これまでつながりのなかった東京の企業が、地域と一体となってスキー場を作り上げていく。さらに、葡萄集落のスタッフの協力も得て、食堂の営業も継続することが決まった。

飯山支配人が「スタッフの皆さんにも楽してもらうために」と給湯器や食洗機を更新した。
さらに、新メニューとして、地元で人気の富樫精肉店のホルモンを加えたほか、ラーメンのチャーシューには新たに村上市の隣、関川村のブランド豚・蛇喰豚が使われるようになった。
外国産のものなど様々な豚を試した中で、形は崩れやすいものの、やわらかく脂の甘さが際立つ蛇喰豚を採用したという。

新しいメニューを考案する一方で、チャーシューを煮込むタレは代々食堂に受け継がれる秘伝のレシピを採用。複数の種類の醤油とショウガ、ニンニクを2時間煮込んで作るという。
食堂スタッフは「ショウガが良い仕事をしている。タレは食堂のメインだったからこれだけは続けたいとお願いした」と語る。
当初はラーメンの具として使われる予定だったが、飯山支配人の発案でどんぶりにして新メニューの目玉にすることも決まったという。

人気のホルモンを提供する富樫精肉店の富樫社長は、もともとスキー場の常連だったこともあり、飯山支配人のラブコールで新メニューへの採用が決まった。
富樫社長は「地元の味なので親しみを持ってもらって、がっつり滑ったあとの疲れた体で食べてもらえれば」とスキー客にメッセージを送る。
そのほか、以前から人気だった赤カブの漬け物など、地元の食を味わえる食堂は、シンクファーストによる営業になることから、スノーシーズンだけでなく通年でオープンする予定だ。

飯山支配人は「もともと食堂がおいしいと評判だったが、そこにさらにいいメニューを加えていって、いずれはゲレンデ食を食べに来て、ついでにスキーを滑りに来た、みたいな人もいてくれたらうれしい」と期待する。
また、これまでは現金のみだった決済方法がキャッシュレスにも対応するようになったのは沼前社長のこだわりポイントだ。
「現金の管理の手間が省けるということと、客の9割がキャッシュレスだと言われているということが理由。自分もスキーをするときは重い財布は持たずに、車のカギとスマホくらいの軽装備で行きたい」
積雪なくオープンは延期に
様々な準備を経て、オープン予定日の12月20日を迎えたが、最高気温は14.5℃と11月中旬の陽気で積雪はなく、オープンが見送られることになった。
「前に来たときは25cmくらいの積雪があったが、どんどん雪がなくなっていくところを『悲しいな』と思いながら見ていた。年末年始が一番の集客があるが年末から少しずつオープンができるかなという現状なので、ちょっと経営的には厳しくなるかな」と沼前社長も悔しさをにじませる。
「20年先も経営を引き継いでいけるよう体制整えたい」
それでも安全祈願祭に出席した高橋市長は「スキー場全体が苦戦を強いられているところではあるが、村上のスキーの灯を消さないというところで、大変ありがたく思っている」と期待を寄せている。

オープンに向けて準備を進めてきた沼前社長も「市民の方々の声や協力があって難しい問題も乗り越えてこられた」と振り返る。
営業については、「つぶさないということ、ちゃんと黒字を出していくということが経営者としては重要になる。安定して10年、20年先も経営を引き継いでいけるような体制を整えたい」と意気込む。
オープンは延期となり厳しい状況にはなるが、地域のスキー場を次世代につなぐための挑戦が本格的に始まる。
