「また来てね」と言えない家
文京区の東京聖テモテ教会のとなりにその「家」はある。
「家」と言っても、ここに泊まれるのは重い病気と闘う子どもとその家族だけ。通称「ぶどうのいえ」と呼ばれるこの滞在施設は1995年11月に開設された。
子どもが病気で高度な治療が必要となると、その場所がどんなに遠くても家族は病院に行き付き添う。そうなると、困るのは家族が生活する場所。病院の近くで滞在できる施設が必要なのだ。
しかし、1990年代当時、そういった場所は日本にはほとんどなかった。ホテルに泊まるか、場合によってはアパートを借りるなどしていた。
経済的な負担が大きいのはもちろんだが、病気の子供以外に手のかかる年代の子供がいる家庭はどうするのかという問題も大きい。
そんな子供の入院に付き添う家族(多くは母親)に対する支援が全くと言っていいほどなかったため、親たちは病院のベッドの下や床に寝たり、車の中で夜をすごしたりするなど、わが子が病気に苦しむ中、付き添う家族たちも「心身ともにボロボロ」になることが多かったという。
東京大学医学部附属病院からほど近い東京聖テモテ教会の敷地内には、かつては女子学生向けの寮があった。老朽化し、時代の流れとともにその役割を終えた学生寮の次の使命として浮上したのが、「病児とその家族のための家」だ。
同じ境遇に置かれたお母さんたちが声をあげ、アメリカ発祥のドナルド・マクドナルドハウスのような滞在施設を作って欲しいと訴えた。
教会の大畑喜道牧師(現・東京教区主教)も「困難な状況に置かれている人に少しでも寄り添うことが私たちの生きる目的」と設立に踏み切ったという。
こうしてはじまったのが「聖テモテ愛の家」だ。
入り口に大きなブドウ棚があり、夏にはブドウがたわわに実るため、つけられたニックネームが「ぶどうのいえ」。
ブドウはしばしば聖書に出てくる植物のひとつで、小さい実が連なってできている。

一人ひとりの熱い想いが集まっているこの家とどこか重なり合う。
まるでわが家のようなぬくもりのある場所
3階建ての建物に大小あわせて11の部屋あり、中に入るとどこも清潔で自宅のようなあたたかい空間が広がる。
共有スペースにはキッチンや食堂、ソファやテレビが置かれたプレイルームなどがある。
利用料金は1日当たり1室1500~3000円で、運営はすべて寄付とボランティアで賄われている。
心がなごむ手作りの作品が随所に
廊下の壁には、手作りのタペストリーがかけられていた。
パッチワークになっていて、個々のパーツを違う人が作っているという。

見ていると心がなごむのは、多くの人の思いがつながっているからかもしれない。
3階から上の洗濯場にあがる途中の窓わくに施されたブドウの絵は、東京芸術大学の学生さんが制作したもの。
卵の殻でできていて、時間のある時に来ては描き、2~3年かけて完成させたそうだ。
多くの出会いや別れが交錯する「ぶどうのいえ」
これまでに「ぶどうのいえ」を利用した人はのべ約8万人。
群馬県富岡市に住む北村真紀子さんもその一人だ。
2008年、重い心臓病を患った長男の京佑くん(当時4歳)がアメリカに渡航して心臓移植をうける際、「ぶどうのいえ」にお世話になったという。
移植手術は無事成功し、帰国直後の数か月と、採血や検査で都内の病院へ通うたびに、ここに数日間滞在した。2人の姉も一緒に滞在することが多かったという。
北村さんは、「病院から疲れて帰ってくるとボランティアさんが『おかえりなさい』と、あたたかく迎えてくれるのがなによりうれしい。ぬくもりのある自宅のような場所が病院の近くにあるのは本当にありがたかった。いまでもここに来ると、思わず『ただいま~』という言葉がでてきてしまう」と当時を振り返る。
今年11月、久しぶりに「ぶどうのいえ」を訪れた北村さん親子は、「わーこのオモチャでよく遊んだねー!」「この絵本覚えている!」などと、10数年前とほとんど変わらないプレイルームで懐かしそうに語り合った。
京佑くんは、移植は成功したものの、11歳でその短い生涯を終えた。葬儀は「ぶどうのいえ」のとなりにある東京聖テモテ教会で執り行われた。
家族や友人、「ぶどうのいえ」の仲間たちに見送られて天国へと旅立った京佑くん。
ステンドグラスを通じて降り注ぐ陽差しが京佑くんのほほをやさしくなでた。

さまざまな出会いや別れを見つめてきた「ぶどうのいえ」。
「つらいことも多かったけど、ここに来るとあたたかく迎えてくれる人がいる。そう思えるだけで、心が安らいだ」
そんな場所が2025年12月26日をもって閉鎖された。
全国にハウスができて利用者が減ったことや、医療の地方への広がり、ボランティアの高齢化などで維持していくことが難しくなったためだという。
開設から30年。
コロナで約1年半閉鎖していたこともあったがこれまで、長きにわたり苦しい状況にある家族を支え続けてきたその社会的意義は計り知れない。
滞在を終えてここを去るとき…それは病気が改善に向かったときもあれば、これ以上の治療が望めなくなったときもある。
ここは、「また来てね」とは言ってはいけない、むしろ「もう来ないでね」と言わざるを得ない特別な家だった。
残された課題
認定特定非営利活動法人ファミリーハウスによると、現在国内には、病気の子どもと家族のための滞在施設は約130か所あるという。以前と比べると増えたが、ハウスの運営はどこも厳しく、専門性も要する上にスタッフの世代交代が課題だという。
社会的に必要な場所であることは明らかだが、運営に関して国からの支援は全くない。地域の支援者の協力を得て非営利で運営されているところが多いという。
2025年12月26日で「ぶどうのいえ」は閉鎖されるが、「もう一つのわが家」としていまのファミリーハウスの草分け的な存在だったことはまちがいないだろう。

ここに滞在した経験のある人たちの交流はいまも続いているという。
「ぶどうのいえ」に明かりが灯ることはもうないが、苦しい時を共に過ごした家族たちの温かいつながりは、これから先もずっと消えることはないだろう。
