被害生徒本人と両親が初めて取材に応じる
仙台育英高校サッカー部のいじめ問題で、被害を受けていた3年生の生徒本人と両親が、初めて取材に応じました。
生徒は、自ら命を絶つ寸前まで追い詰められ、2025年10月、警察に保護されたといいます。その後、学校側が本格的に調査に踏み切ったことが新たに分かりました。
さらに2024年に行われた面談で、顧問団が威圧的な言動を繰り返し、退部を示唆する発言をしていたことも判明しました。生徒の命が危険にさらされる中、学校側の対応が問われています。
いま、初めて語った理由
「死んでくれ、と言われた」
「死にたい」
「相談しても、現状が変わらなかった」
仙台育英高校サッカー部で、いじめを受けていた3年生の生徒本人が、取材班に語った言葉です。生徒は、命を絶つ寸前まで追い詰められていました。
仙台放送は11月下旬、両親の同席のもと、約4時間にわたり話を聞きました。
生徒本人が取材に応じるのは、初めてです。
生徒が取材で語った言葉
「ネットで事実と違うことが広がっている」
「本当のことを伝えたい」
生徒本人・両親を取材した記者
「撮影を一切しないことを条件に、記録のための録音と、ペン取材に応じてもらいました。現在も苦しさを抱える中で、一つ一つ言葉を選びながら、丁寧に答えてくれました。
生徒と両親は、インターネット上で事実無根の憶測や、
誹謗中傷が広がっているなか、
自分の口で何があったのかを明らかにしたいと、取材に応じました。
また、生徒本人は他の部員たちの影響にも心を痛めていて、
全国高校サッカー選手権への出場辞退の取り消しも求めていきたいということです。
一方で、これまでの学校の一連の対応にも不信を募らせており、
メディアによる全国的な報道がなければ、
事実は埋もれていたかもしれないということも話していました。
本人と両親は、複雑な思いを抱えながら、
覚悟をもって事実を正確に伝えたいと、取材に応じた理由を話してくれました」
仙台育英が結論付けた「構造的いじめ」
学校側が公表している内容を整理します。
仙台育英高校サッカー部では、被害生徒が1年生だった2023年の春ごろから、主に同じ学年の複数の部員から、不適切な言動を受けていたとされます。
学校が「いじめ重大事態」として調査を始めたのは2025年10月、全国高校サッカー選手権の宮城県大会が行われていた最中でした。
仙台育英は2年ぶりに優勝し、全国大会への切符を手にしました。
学校は決勝前日の11月1日、すべての保護者に「いじめ重大事態」を通知し、「被害生徒と保護者の了承を得た」として、予定通り決勝に出場したと説明しています。
そして、優勝から10日後の11月12日、学校は「構造的いじめ」があったとする調査結果を公表。
サッカー部に厳しい規律や重い罰則・連帯責任が定着し、指導者も改善しなかったことで、いじめを生む体質となっていたと、学校は説明しています。
学校は全国大会の出場を辞退し、年内の対外活動もすべて停止。
監督と、コーチ兼部長は「一身上の都合」で辞任しました。
一方、複数の保護者からは、
学校の説明と認識にズレがある、調査は不十分などと指摘する声が上がっています。
仙台放送は事実関係を確認するため、学校に質問状を送りました。
学校は「特定の個人に関する内容のため回答は控える」としたうえで、「公式見解はホームページに公表している通り」としています。
「警察が来てようやく…」動き出した調査
今回、生徒本人の証言から、彼は命を絶とうとするほど、追い込まれていたことが分かりました。
2025年10月11日、生徒は自ら命を絶とうとし、警察によって一命をとりとめました。
生徒はこの日以前にも、何度も、自殺を図ろうとしたことがあったそうです。
両親によりますと、学校にはすぐに「いじめを苦にした自殺未遂」と伝えられ、「いじめ重大事態」として調査が始まったということです。
学校側はこれまで、「いじり・不適切な言動」が入学直後から始まり、2年生から「保護を継続していた」と説明しています。
そして2025年10月、「生徒の了承が得られたことから、いじめの調査を開始」としていました。
これに対して保護者は、実際には1~3年生にかけていじめが続き、自殺未遂の発覚によって、ようやく学校が動き出したとしています。
生徒の言葉
「本当に死ぬ間際で警察に止められたから、学校も問題として取り上げた」
父親の言葉
「ずっと訴え続けてるのに、誰も聞き入れてくれない。受け入れてくれないことがずっと続いていた」
「いじめ防止対策推進法」では、命や安全にかかわる恐れがある場合、速やかな調査開始を求めています。
生徒は、繰り返しいじめを相談していたと話しますが、学校はなぜ、命の危険が生じるまで、本格的な調査を始めなかったのでしょうか。
仙台放送は、学校側に再度質問状を送り、回答を求めています。
顧問団が圧迫的指導・退部示唆か
さらに、生徒と家族は“学校側の対応”そのものが、追い詰められる原因の一つになっていたと訴えます。
自殺未遂の1年前、サッカー部の顧問団がいじめの被害生徒と面談した際、不適切な発言をした疑いがあることが、録音された音声からわかりました。
2024年10月、当時の顧問団3人と、いじめ被害を訴える生徒が面談した際、
顧問団のうち1人の発言です。
「サッカー部のルール知ってる?ねえ、ねえ?なに、なに?
誓約書あんだよ、サッカー部の。サッカー部の誓約書あんだよ。
お前、黙ってることない?
ふーん、誓える?じゃあこれお前さ、嘘だったら退部する?」
「サッカーやらないやつが、サッカー部にいても意味ない」
「このままサッカー部にいたいのか?いたくないのか?
お前ならいたくないでしょ。俺ならいたくない」
生徒はこの面談で、他の部員たちから「死ねと言われている」などと伝えました。
しかし録音データからは、顧問団がいじめに対して対応をとる様子は、確認されませんでした。
面談の場にいた別の指導者(当時)
「サッカー今頑張ったって、もう手遅れだと思う。
サッカーで君がのし上がることは、まずないと思う」
「クラブチーム来てよってところがあると思う。あるから紹介してもいいから」
「根性があるかと言ったら、俺は厳しいと思うから言ってる」
仙台放送は、こうした対応が適切だったどうか質問しましたが、学校は「特定の個人に関わるため回答を控える」とし、これ以外の回答も得られていません。
複数の保護者によりますと、今年11月、当時の顧問団の一人は、「いま思えば恫喝だった」といった趣旨の説明を保護者会にしたということです。
いじめ被害生徒の言葉
「相談しても、やっぱり現状が変わらなかった。もう言っても無駄なんだと思って、相談したりはしなくなった」
この面談から1年後の2025年10月、生徒は、命を絶とうとする選択に至りました。
それでも、「許す」 葛藤の末の思い
生徒が取材に語った内容からは、いじめの被害を繰り返し訴えていたにもかかわらず、十分な対応が取られていなかった可能性が浮かび上がりました。
学校の説明と本人・両親の認識との間には、他にもいくつかズレがあります。
仙台放送は学校側に再度質問状を送り、回答を求めています。
今回取材に応じた生徒本人は、自ら命を絶とうとするほど追い詰められる中、当初は「絶対に許せなかった」そうです。
それでも今は家族や仲間の支えに気付き、「いじめた生徒たちを憎むのではなく、“許す”という思い」に至るようになったと話します。
全国大会の出場辞退を学校が判断したことについては、
「関係のない選手たちの夢を奪うのは違う」
「できることなら、みんなで全国に出たい」
「いじめられた側に矛先を向けるのではなく、いじめをした側・止めなかった側の問題だとベクトルを向けられるチームになってほしい」
と思いを語っていました。
一方で、今回明らかになった疑問。
なぜ、命の危機に陥るまで動かなかったのか、
学校が、どう受け止め・検証するのか対応が問われています。
学校側「回答は控える」
なお、学校側は、再質問状に対する12月3日付の回答書で、
「特定の個人に関する内容のため回答は控える」としたうえで、
「公式見解はホームページに公表している通り」としています。