シリーズで岡山・香川のこの1年を振り返る年末回顧をお伝えします。
初回は2025年3月に岡山市で発生した大規模山林火災です。県内では過去最大の焼失面積となったものの、ケガ人や民家の被害はなかった今回の火災。その最前線には、炎や煙と懸命に対峙(たいじ)した地元消防団の姿がありました。
◆「燃えないだろうと思っていた所まで全部燃えた」県内最大の被害もケガ人・民家被害ゼロ
(岡山市消防団甲浦分団 井上隆雄前分団長)
「ここは一面が焼けた。燃えないだろうと思っていた所まで全部燃えた」
こう語るのは2025年3月まで岡山市消防団甲浦分団の分団長を務めていた井上隆雄さん(67)です。約60人の団員をまとめ上げ、自身も懸命の消火活動にあたりました。
2025年3月23日岡山市南区で発生した山林火災。焼失面積は486ヘクタールに上り、記録が残る中で岡山県内最大の被害となりました。しかし、ケガ人はゼロ、民家の被害もありませんでした。
◆20日間で延べ約2200人が出動…民家への延焼を夜通しで食い止めた消火活動
民家への延焼を食い止めたのは地元の消防団。火災発生から鎮火までの20日間、延べ約2200人が現場に出動し、夜を徹して消火活動が続けられました。
井上さんが率いる甲浦分団は、山中にある、ため池の水を利用して消火活動にあたりました。
(岡山市消防団甲浦分団 井上隆雄前分団長)
「ここの水を可搬ポンプで吸い上げてあちらへ水をかける。山をずっと登ってホースをつなげていたが、きれいに燃えてしまった」
当時、上空では陸上自衛隊などのヘリコプターが消火活動を行い、地上では消防団員が目の前に迫る炎が麓に下るのを食い止めるのに必死だったといいます。
「池の一番端から水をかけていたが奥の燃えているところに水が届かない。だから燃えていない所に水をかけて炎が移らないようにしていた」
◆「せめてご神体だけは」と宮司…“スサノオノミコト”を祭る神社まで約10メートルに迫る火
焼失を免れたのは民家だけではありません。岡山市南区飽浦にある素戔嗚(すさのお)神社。火の手は約10メートルの所まで迫りました。素戔嗚神社はヤマタノオロチ退治で知られるスサノオノミコトを祭る神社で、現存する最も古い歌集、万葉集でこの場所について詠まれていることから神社は1200年以上前に建立されたと言われています。
火災発生から3日目の3月25日、上空には強い風が吹き、神社の裏山の火の勢いは増していました。
(素戔嗚神社 河田晴彦宮司)
「本殿が山の上に方にある。本殿の10メートル手前まで火が迫っていた。飛び火して、本殿に燃え移るかもしれない状態だった」
(素戔嗚神社 河田晴彦宮司)
「本殿からご神体を拝殿まで持って下りた。せめてご神体だけは守ろうとした」
神社の周辺には、多くの消防団員が駆け付けました。その結果、ぎりぎりのところで本殿への延焼を食い止めたのです。
(素戔嗚神社 河田晴彦宮司)
「消防団員には頭が下がる思い。この神社を守ってもらってありがとうという言葉しか出ない」
◆地域住民の安心感を生む「消防団の強み」
消防団の強みについて井上さんはこう話します。
(岡山市消防団甲浦分団 井上隆雄前分団長)
「消防団が地元にいれば消防署よりも早く現場に行ける。鎮火に向けた段取りをちょっとでも早くできることが地元消防団の強み」
岡山県は消火活動に多大な貢献があったとして岡山市と玉野市の消防団に感謝状を贈りました。また、2つの消防団は「内閣総理大臣表彰」も受賞し、防災功労者として評価されました。
(岡山市消防団甲浦分団 井上隆雄前分団長)
「連携プレーで自衛隊が来たり地元の応援があったり、消防団だけではできないが、消防団がいるだけで住民の安心感が生まれる」
発生から8カ月余りがたった今も火災の爪痕は山々に残っていますが、斜面には、新しい命が芽吹き、少しずつ、再生に向け歩みを始めています。