明治期に日本文化を世界へ紹介した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の思想が、戦後日本の運命を左右していた。
連合国軍最高司令官総司令部・GHQのボナー・フェラーズは八雲の著書を愛読し、日本人の精神性や天皇崇拝を深く理解。
昭和天皇の戦争責任を問えば「国家が大きく混乱する」などと進言したことで、天皇制の存続が決まったという。
日本が太平洋戦争に敗れてから80年の節目となる2025年、現在放送中の朝ドラでも脚光を浴びる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と戦後の日本の運命を決めた人物との意外な関係性を取材した。

八雲が影響を与えたGHQ高官

ボナー・フェラーズ
ボナー・フェラーズ
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「昭和の戦争」と「明治期の文豪」…一見無関係に思えるこの二つのテーマだが、掘り下げてみると驚くべきつながりがあった。

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1890年(明治23年)に来日、松江などに滞在しながら『怪談』をはじめとした多くの著書を残して日本文化を海外に紹介した文豪として知られる。
そんな八雲の熱心な愛読者がいた。それが敗戦直後の日本を統治した連合国軍最高司令官総司令部・GHQのトップであるマッカーサーの最側近、ボナー・フェラーズである。

小泉八雲と書籍
小泉八雲と書籍

八雲のひ孫である小泉凡さんによると、「フェラーズは140冊、ハーンの本を持っていると言っているんですよ。それを全部読んだと…“オタク”の域ですね」と話し、熱烈な「八雲ファン」だったという。

天皇の戦争責任と戦後日本統治の決断

マッカーサーと昭和天皇
マッカーサーと昭和天皇

戦後日本の統治にあたり、フェラーズはマッカーサーから「昭和天皇の戦争責任を問うべきか報告せよ」という重大な任務を与えられた。
占領政策の根幹をなす「天皇の戦争責任」の判断である。

八雲の遺作『日本:一つの解明』
八雲の遺作『日本:一つの解明』

その際、フェラーズが参考にしたのが八雲の遺作『日本:一つの解明』だった。
この著書で八雲は「日本人の祖先崇拝と天皇崇拝は密接に結びついている」と分析し、日本人にとって天皇の存在がいかに特別なものかを論じている。

小泉八雲のひ孫・小泉凡さん
小泉八雲のひ孫・小泉凡さん

小泉凡さんは「(日本人は)敬愛の祖先信仰を強く持っていて、それと同じように天皇陛下や、あるいは天皇家の祖先神への強い信仰も日本人は持っていると。天皇や皇室への敬愛の念というのは祖先信仰と不可分に結びついている」と八雲の理解を説明する。

フェラーズの進言:フェラーズ(左)マッカーサー(右)
フェラーズの進言:フェラーズ(左)マッカーサー(右)

これを受けてフェラーズはマッカーサーに「天皇の戦争責任を問えば統治機構は崩壊し、全国的反乱は避けられない」と進言。
その結果、「天皇の免責」と「天皇制の存続」が決定された。
八雲の著書がフェラーズの判断材料となり、戦後日本の針路を決めたのである。
小泉凡さんは「天皇を訴追するようなことがあれば、おそらく民衆が精神的に混乱するだろう。それは絶対に避けなければならないという判断が基本的にあったと思う」と分析する。

急速に軍事化が進んだ明治期 八雲の戦争観「軍国主義に警鐘」

日清戦争を描いた版画 大英図書館所蔵
日清戦争を描いた版画 大英図書館所蔵

八雲は明治時代の文豪だが、当時の日本は日清戦争や日露戦争などで急速に軍事化を進めていた時代でもあった。
では、八雲は対外戦争に打って出た明治期の日本をどう捉えていたのだろうか…。

小泉凡さんによれば、「けっこう日本が勝つってことは喜んでるんですよ。我慢して我慢してという日本人の力が、日清戦争でも勝利に導いたんじゃないか、みたいなことも言っていますね」と語った。

小泉八雲全集 第五巻(第一書房) 第六章 戦後雑感
小泉八雲全集 第五巻(第一書房) 第六章 戦後雑感

実際、日清戦争後の著書には「宣戦の初めから終局の勝利については、いささかの疑いも抱かなかった」、「日本の余力は恐らく従来認められていたよりも勝っている」と記している。

黄海海戦を描いた版画 大英図書館所蔵
黄海海戦を描いた版画 大英図書館所蔵

しかし同時に、軍国主義の行き過ぎには警鐘を鳴らしていた。
「いつも日本を応援する立場なんですけれども、これによって日本が過信するってことが一番危険なことだと。根拠のない自信っていうのを日本は持っている。これが極めて危険なことだっていうことは、ちゃんとしっかりと指摘してます」と小泉凡さんは語る。

著書には「日本の海軍部内には三国(仏・独・露)を敵として戦わんとする熱烈な希望もあった。そうなった曉には偉い戦争であったろう。日本の司令官には夢にも降服するなどという者は無く、日本の軍艦に艦旗を降ろす樣な事は決してないから」と記されており、日本の行く末を予見するかのような指摘もあった。

「BON」の名の由来—感動のエピソード

フェラーズ(左)と八雲の長男・一雄氏(右)提供:小泉家
フェラーズ(左)と八雲の長男・一雄氏(右)提供:小泉家

ボナー・フェラーズと八雲の長男・一雄は、フェラーズの帰国後も300通を超える手紙をやり取りするなど、生涯にわたって交流を続けた。
その関係性を示す心温まるエピソードがある。

祖父・一雄が送った手紙
祖父・一雄が送った手紙

小泉凡さんの名前「BON(凡)」は、実はボナー・フェラーズの「BONNER」に由来していた。1961年7月、凡さんが生まれた際に祖父・一雄はフェラーズに「孫が誕生し、BONと名付けました」、「あなたの名前からいただくことを許してほしい」と手紙を送ったという。

凡さんの名前の由来
凡さんの名前の由来

「祖父が、1番敬愛する友人のボナーフェラーズのボン。ボンを取って、初孫だからって言って私につけてくれたんですね」と小泉凡さんは語る。

八雲といえば「怪談」が有名だが、凡さんは「ほかにも多くの著書を残し、各方面に大きな影響を与えた」という功績をこの機会に知ってほしいと話している。

(TSKさんいん中央テレビ)

TSKさんいん中央テレビ
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