「何回、聴いても泣いちゃう」。「ずっと泣きっぱなしでした」。福岡市内で開かれた或るコンサートで聞かれた言葉。演奏が始まると会場に訪れた多くの観客が、涙を流していた。
旋律を奏でるのは精神科医と形成外科医
現役医師ユニット『インスハート』。結成して10周年になる。ボーカル、バイオリン担当のToshiさんは形成外科医だ。

そして作詞作曲を手がけギターを担当するのは精神科医のJyunさん。2人が奏でる“命”や“病”などをテーマにした音楽に、多くの人々はこれまで何度も心を救われてきた。

ユニット名の由来は『inside your heart(あなたの心に寄り添う))から名付けられたという。

Toshiさんは、福岡県内の大学病院で形成外科の医局長をしている。「今から手術に入って…、結構、長い手術なので多分、夜中までかかる」。この日は、癌患者の身体の一部を切除し、そこに別の部分の皮膚を移植する再建手術を担当する。

この日の手術は、13時間にも及んだ。音楽活動も忙しくなり、週末は寝ずにステージに立つことも多いが、医療現場で感じる想いを音楽で伝えることも自分の使命だと思っている。「例えば、癌の方の手術も多くしているが、どうしても無力を感じることが多くて…。医学ではなかなか手が出せなくなってしまったときに『音楽で何かできないかな』という思いで、活動している」とToshiさんは話す。

インスハートの2人は、長崎大学医学部時代に軽音部で知り合い、2015年にユニットを結成。医師として多忙な日々を過ごしながら「身体は医療で、心は音楽で癒やしたい」と休日に病院や学校、福祉施設などをまわりコンサートを開いてきた。

これまでに難病患者や障害者、その家族などをモデルにした楽曲を多数制作。医師ならではの感性でそれぞれの想いをストレートに綴った歌詞が共感を呼び、いまでは全国ツアーを行うなど活動の幅を広げている。

被爆80年『おばあちゃんののこしもの』
10周年コンサートの1カ月前。サポートメンバーを入れたスタジオ練習日だ。「本番が近づいてきたので、そろそろ頑張ってやらないと」と話すJyunさん。多忙な2人にとって、これが本番前最後の練習となる。

今回のコンサートで2人は、或る歌をメインで演奏することを決めていた。2016年に制作した『おばあちゃんののこしもの』だ。長崎大学病院から原爆をテーマにした曲作りを依頼され、被爆者の原田美智子さんから直接、体験談を聞いて作った歌だ。

Jyunさんは「今年は被爆80年ということで、すごく大切な年。その年にちゃんとこの『おばあちゃんののこしもの』を演奏して、皆さんに平和について考えてもらうというのが、すごく大事なこと」と話す。

80年前の1945年8月9日午前11時2分。人類2回目となる原子爆弾が、長崎市の約500メートル上空で炸裂した。その年の12月までに約7万4000人が死亡。その後も多くの人が原爆症で苦しみ、亡くなっていった。
被爆者の原田美智子さん(取材当時77歳)は、話を聞きに訪れた2人に「次々に家族が亡くなっていったから…、その放射線の影響でね」と当時を思い出しながら静かに語ったという。

2023年、原田さんが84歳で亡くなり、この曲を伝えていく大切さをより強く感じた2人は、被爆80年の年に開催する10周年コンサートで、子どもたちとともにこの曲を歌うことにしたのだ。

「平和への思いを一緒に伝えていく」
「若い世代のみんなと一緒に歌いたいと思って…」とインスハートが歌の共演を依頼したのは、久留米市で50年以上活動を続けている児童合唱団。参加するのは小6から高2までの選抜メンバー13人だ。この日、初めて曲を聞きパートごとに音の確認を行った。

「曲の印象は、悲しい歌だと思った」(小6・こはるさん)。「泣きそうになる感じがした。”愛を永遠に”という歌詞が心に刺さってきた」(中3・みさきさん)と合唱団のメンバーもそれぞれに歌の思いを胸にかみしめていた。

原爆の被害状況や現代の非核化への取り組みなどについても勉強していた高1のみゆさんは「いま日本が、戦争もなく幸せに過ごせているのが、当たり前と思ってはいけないなと。当日は、いろんな世代の方が見に来られると思うので、合唱団のみんなで、原田さんの思いが届くように歌えたらなと思います」と話していた。

平和へのメッセージが伝わるように
そして、コンサート当日。福岡市の会場には400人近くが詰めかけた。

2人は、3時間以上かけて全12曲を披露。そして最後に合唱団がステージに登壇した。

「ぜひ、Toshiの声と子どもたちの声を聞いてもらって、その声を原田さんの想いだと思って、メッセージだと思って、聴いて頂きたいなと思います」(Jyunさん)。
2人の想いが、込められた歌『おばあちゃんののこしもの』(作詞・作曲:Jyun)の旋律が会場に流れた。

おばあちゃん おばあちゃん あなたがしわくちゃなのは
いつもいつも 笑顔でいるから
みんながそう思ってる だけど眉間のしわだけは 理由が違うよね
私だけが知ってる

鳴りやまない観客からの大きな拍手。合唱団のみんなも歌いきった表情だった。
「こうやって原田さんの想いを僕たちと一緒に届けてくれたのが、若い世代が引き継いでくれたのが、すごく嬉しい」と話すToshiさん。

Jyunさんも「出し切ったなという感じ。それぞれの人の心に僕たちの1曲1曲が届いたんじゃないかな」と話した。

この10年、さまざまな思いを曲にして届けてきた2人。原田さんの平和へのメッセージが、ひとりでも多くの人に伝わるようにインスハートは、これからも歌い続ける。
(テレビ西日本)
