2022年、演説中の安倍元首相を銃撃して殺害した罪などに問われている山上徹也被告(45)。10回目となる11月20日の裁判員裁判で、初めて被告本人が証言台に立ち、質問を受けました。
『サン!シャイン』のディレクターは裁判を傍聴し、法廷内での山上被告の一挙手一投足をノートに記述。

ディレクターが特に印象に残ったのは「ゆっくりひと言ずつ考えながら、はっきりとした声でかみしめるように答えていた」山上被告の姿。
被告人質問で語った家庭の崩壊、その原因となった旧統一教会や、母親への思いとは。
「生きているべきではなかった」山上被告(45)初の証言台
弁護側:
自分が45歳まで生きていると思っていましたか?
数秒の沈黙のあと…。
山上徹也被告:
いや…生きているべきではなかったと思います。

20日午後3時45分ごろ、黒のスウェットにベージュのズボン姿で法廷に姿を見せた山上被告。弁護側からの質問で、信仰を巡る母親とのやり取りなどを語りました。

弁護側:
中学2年のころ、お母さんが入信してどう思いましたか?
山上徹也被告:
テレビのワイドショーで統一教会について報道されていることを母親に話しました。(母に)「テレビのワイドショーを信じるのか」と言われ…。
父親が自殺した後、母方の祖父の家で暮らしていた山上被告。
母親は1991年、旧統一教会に入信すると、高額な献金を繰り返し、祖父の不動産を無断で売りに出そうとしたこともあったといいます。
祖父は「母親を殺害してこれで止めろ」と、刃物を持ち出すこともあるなど、祖父との間で衝突を繰り返していたと語りました。

弁護側:
祖父はどう言っていましたか?
山上徹也被告:
「いずれ財産を持って行ってしまうぞ」と…。(祖父は)母親が帰ってきても、家に入れないように鍵を閉めて、鍵も回収して、「母親抜きでやっていく」というようなことを言われた。暗くなってから、何かの拍子に玄関の近くにいますと、母が玄関をノックして、何度も「開けてくれ」と言うので、開けてしまったことがありました。
家庭崩壊を目の当たりにした少年時代。
山上徹也被告:
自分が高校に通うことが、当然だとは言えないと思っていました。

経済的理由などから大学進学をあきらめた高校時代。卒業アルバムに書いた将来の夢は…。
山上徹也被告:
「石ころ」と書いたのは覚えています。
弁護側:
(石ころ)どういう意味?
山上徹也被告:
ろくなことがないだろうと。
母親が証人尋問で出廷したことについては。

山上徹也被告:
非常につらい立場に立たせてしまった。母の信仰を理由に事件を起こしたから母も感じるところがあると思う。(母は)基本的には悪い人間ではない。あれほど多額の献金さえなければそれでよかった。
初公判から全て傍聴しているラジオ・フランスの特派員、西村カリン氏は、20日の被告人質問で最も印象に残ったことについて、こう語ります。

ラジオ・フランス特派員 西村カリン氏:
今回は(表情は)いつもと同じですが、ただ質問に答えた時に一時的に涙が出てるんじゃないかと私は思ったんです。(印象に残ったのは)まず本人の声、前回とはちょっと違うんですね。今回は大きい声で話してるので、聞きやすい。ゆっくりしゃべってるのもいいし。おそらく本人は自分が言うことをみんなによく聞いて、理解してほしいという気持ちで話してるかもしれないし。
弁護側のポイント
被告人質問の弁護側のポイントについて、元横浜地検刑事部長・若狭勝弁護士に聞きました。
若狭弁護士が注目したのは、母親と祖父が信仰を巡って激しく対立していたという証言。

若狭勝弁護士:
20日の被告人質問における、弁護人のスタンスは2つ軸足があったと思うんです。1つは、財産的、金銭的に山上被告が相当追い込まれていったというところ。もう1つは精神的にも相当追い込まれていったというところ。財産的、金銭的な面においては、山上被告含め家族が母親の献金が影響でお金に困って普通の生活ができなかったという環境を強調して、情状酌量の余地があると裁判員に訴えるという形になっていたと思います。

――安倍元首相への犯行に至る気持ちというのはこの後の証人尋問で聞かれていくんですか?
若狭勝弁護士:
2段階構えで考える必要があると思います。第1段階は、山上被告が母親の献金問題などで相当つらい悲惨な状況にあったということを訴える。第2段階では、なぜ安倍元首相を狙ったのか。それについて弁護人がどう説明するのか。20日の被告人質問はあくまで第1段階の土俵だったと思います。

山上容疑者の肉声を、裁判員はどのように受け止めたのか。
そして、残り4回の被告人質問の焦点、事件に至る経緯や動機について、何を語るのでしょうか。
(「サン!シャイン」11月21日放送より)
