肺炎のため92歳で亡くなった俳優の仲代達矢さんの通夜が13日、行われました。
仲代さんが主宰する「無名塾」出身の俳優・益岡徹さんが報道陣の取材に応じました。
仲代さんが亡くなった2日後の10日早朝に訃報を知ったという益岡さんは「「この何年か、これから先何年かは、ずっといつかこういうときが来るだろうという気持ちではいたんですけど、それがきょうかという驚きがございました。その時は覚悟していたつもりが、ガラガラッと動転するような状態になりまして、その日のうちにお顔を拝見、お別れといいますか、駆けつけたんですけど」と話しました。
仲代さんの存在を「自分にとっては先生だけど、先生という言い方を最初からしないでくれという主義の方で、仲代さん、仲代さんと言っていた。師匠は師匠でずっとそういうふうに思っていました」といいます。
「もうひとつ、やっぱり、20年、30年、40年を超えると、自分の大切な寄って立つべき場所みたいなところに、こっちに来いよと言ってくださっているような、先導してくれているような大きな存在だったんだなと、棺の中のお顔を見たときにすごく感じた」としのびました。
仲代さんから一番に学んだこととして、「役者が破天荒であればいいという考え方ってあると思うけど、仲代さんはそれはそれでいいとしても、『きちんとまともな社会人であってほしい』ということをすごく思っていらした方だと思う」と振り返りました。
仲代さんの印象に残っている言葉を聞かれると、「役者というのは生涯ずっと続けていくべきもので、小さくてもいいから自分にとってこれだと思う鉱脈みたいなものがある。それが細くて途切れそうになっても、それをずっとコツコツ掘り続けていく仕事なんだからな、ということを言われて。若いときはわからなかったけど、あるときはたと『そうかもしれない』と思った」と話しました。
来年2月の舞台「大地の子」では、ドラマで仲代さんが演じた同じ役を演じるという益岡さん。「それを仲代さんにどこかで言いたいなと思っていたけど、結局お伝えすることができず…。一緒にその思いを、“二人三脚”って言い方はないかと思いますけど、そういう形で舞台で演じられたらいいなと思います。観ていただきたかったですね、すごく」と声を震わせました。
「思えば30年くらい前に奥さんの宮崎(恭子)さんがお亡くなりになって、同じ場所でお通夜があったんですが、宮崎さんのご遺体を真ん中にしてみんなで大酒盛り大会になりましてね。不謹慎でひんしゅくを買っても当然なんですけど、仲代さんもそういう感じになっていまして。言い訳じみていますけど、みんなでにぎやかに明るく送り出せたんじゃないかと言っていたことを思い出して」と仲代さんとの思い出を語りました。
最後に「きょうももしそういう時間が少しでもあったら、絶対に忘れないことは確実ですから、そういう瞬間もあればいいなというふうに思っております」と話しました。
仲代さんは1932年東京都生まれ。黒澤明監督作品の「用心棒」「影武者」「乱」に出演した他、成瀬巳喜男監督、岡本喜八監督、市川崑監督、五社英雄監督など、日本を代表する名監督の作品に多数出演しました。
アカデミー賞とカンヌ・ヴェネツィア・ベルリンの世界三大映画祭全てで出演映画が受賞した実績を持っています。
仲代さんは、1975年に自宅にあった小さな稽古場から生まれた無名塾のトップとして、益岡さんや役所広司さんなど多くの後進も育てました。