中越地震で大きな被害を出した新潟県小千谷市の塩谷集落。その復興の過程で集落に残った人、集落を離れた人、そして集落を支えた人たちの交流拠点となっていた施設が解体された。約20年にわたって新たな絆を紡いできた集落の施設がその歴史に幕を下ろした。
「新たな絆生まれるように」交流拠点“芒種庵”に込めた思い
「それは、ずっと続いていけばいいけど、自分がいつまで続くか分からない。ここがあれば、確かにボランティアの人たちも、村の人たちも、私たちも集まってご飯を食べたり、お話したりするので大事な場所なんだけど。まぁやろうと、いつかやらなければいけないんだから、自分が動けるうちに…」
扉や窓が取り外され、物が運び出された建物の前でこう語るのは星野賢治さん。
「いつかやらなければ…」
それは、小千谷市塩谷集落にある芒種庵の解体だ。
中越地震後に集落を離れた人や復興を支えたボランティアなどが気軽に立ち寄れるようにと、地震から2年後に全壊判定を受けた古民家を修復した芒種庵。
“種をまく時期”を表す芒種には復興、そして新たな絆が生まれるようにという願いが込められている。
集落に残った人・離れた人…様々な人をつないできた芒種庵
しかし、中越地震で多くの住宅が被災、建物の下敷きになり、児童3人が犠牲になった塩谷集落からは地震後多くの住民が離れた。星野賢治さんもその1人だ。
今から11年前に取材した時、「村に残っている人が顔を出して、山菜や野菜をもらったり、本当にありがたいと思っている」と話していた星野さん。
さらに集落を離れた人だけでなく、県外からのボランティアも多く集まるように。
集落に残る決断をした関芳之さんは「限界集落になっている。若い人に入ってもらったり、外部の人に入ってもらって、終わらせたくないという思いがある」と語っていた。
毎年行ってきたコメ作りにも、ボランティアをきっかけに集落とかかわりを持った県外の学生などが参加。新たな絆を紡いでいた。
中越地震から21年…高齢化などから芒種庵“解体”を決定
ただ、20年あまりにわたって、その歴史を刻む中で芒種庵に集まる人は年々減少。芒種庵を管理する会は会員の高齢化などもあり、去年、芒種庵を解体する方針を決定したのだ。

中越地震から21年を迎えた10月23日…
星野さんは、1週間後に芒種庵の解体を控える中、芒種庵との最後の時間を過ごしていた。
活動の記録を振り返り、「やっているときは楽しかった。みんなやる気はあったし、私たちも20年前だから若かった」と寂しそうな表情を浮かべた。
芒種庵はなくなっても「20年築いた絆というものがある」
そして、いよいよ迎えた解体のとき。重機が入ると、多くの絆を紡いだ芒種庵は一瞬で崩れてしまった。

それでも、関さんは「会はね…別の方法で残していこうという話はある。芒種庵という器はなくなっても俺たちが築いた絆というものがあるから。せっかく20年も付き合ってきた仲間がこれで終わりじゃ寂しいから」と話した。
芒種庵はなくなっても、これまでの活動を本にまとめるなど新たな形でその絆をつないでいく考えだ。
