11月6日に「越前がに」の今シーズンの漁が始まります。いまでは全国に誇る“福井のブランド”ですが、漁はいつ始まり、なぜ有名になったのか…その歴史をひも解きます。
カニが“いまの倍ほど取れていた”という昭和中期。
昭和40年代の「越前がに」の競りの映像には、木箱いっぱいのカニが映し出されています。映像に音は付いていませんが、人々の動きや表情からは漁港の活気が伝わってきます。
漁獲量は、昭和39年には現在の2倍以上にあたる1000トンを超えていました。
街行く人に当時の思い出を聞くと―
「浜の方から売りに来ていて、セイコガニをおやつ代わりに食べた」(70代・福井市)
「そうそうそう、おやつ。今でこそ食べられないけどね」(80代・あわら市)
年配の人から聞かれたのは「カニがおやつだった」というエピソード。いまほど特別なものではなかったようです。
しかし、昭和の終わりにかけて漁獲量は急激に減少。昭和54年には過去最少の210トンとなりました。
そもそも、「越前がに」はいつからとられていたのか。その歴史をひも解く鍵は、江戸時代の「福井の特産物」をまとめた書物にありました。
越前国福井領産物(1735年松平文庫・福井県文書館保管)にずらりと書かれた魚の名前。「蟹」の欄には「ずわいがに」の文字が。
その隣には“入手しにくい時もある”との注意書きも。漁場が近く、江戸時代の中期にはすでに福井の特産品になっていたのです。
明治時代には、福井のカニを有名にする“ある出来事”が。
皇室への献上です。
120年ほど前の明治42年、時の皇太子が福井を訪れた際、当時の福井県知事がこう言ったといいます。
当時の知事・中村純九郎氏:
「福井のカニは大変おいしい。漁の時期になれば献上します」
この時から全国で唯一、皇室に毎年「越前がに」を献上しています。
ただ、太平洋戦争の終戦前後の3年間(昭和19年から21年)は、献上を取り止めたそうです。
平成に入ると、ブランド化が本格的に進みます。
県水産課の頼本華子参事は「まず平成元年に、県の魚として『越前がに』を指定した」といい、平成9年には全国に先駆けて、越前町漁協がおなじみの“黄色いタグ”を付け始めました。「他の産地との差別化が一番の目的。黄色いタグは“越前がに”だと全国的に広く認知されるようになっていった」(頼本参事)
また、資源保護の観点からも先進的な取り組みが続けられてきました。
福井県で開発された、その名も「越前網」は、禁漁期間にかかってしまうカニを減らすための特殊な網です。
漁期を短縮したり水揚げできるサイズを制限したりと、越前がに独自のルールも、この頃から強化しています。「福井の漁業者はすごく意識が高く、越前がにを守るという誇りを持って取り組んでいる。その甲斐もあって、近年では400~500トンの漁獲量を維持できている」といいます。
さらに、10年前の2015年には最高級ブランド「極(きわみ)」が誕生しました。
また5年前からは、専用のアプリを使った資源保護をスタート。漁業者から漁場ごとのデータを収集し、成長していないカニを取らないようリアルタイムに発信・共有する仕組みも進んでいます。「昭和の時代は、資源管理の考え方はまったくなく、取れるだけ取っていた。意識して資源量を考えながら今後も継続して資源管理の取り組みは続けていく必要がある」(頼本参事)
去年の漁獲量は511トンにまで回復。漁獲金額も過去最高の約25億2700万円を記録しました。
恵まれた漁場と先進的な取り組み、さらに漁業者の努力があってこそ、長く守られ続けてきた「越前がに」。
いよいよ、今シーズンも解禁です。