長崎市中心部のアーケードにある呉服店が、このほど閉店を決めた。大正7年創業で107年にわたり呉服販売を続けてきた老舗だ。「つないできたものを守りたかった…」と、涙を流しながら語る3代目社長の決断に迫る。

元気なうちに店を閉じる決心

店の前に掲げられた「完全閉店」の大きな看板。思わず立ち止まって看板を見上げる人もいる。

「完全閉店」の大きな看板
「完全閉店」の大きな看板
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長崎市浜町アーケードに店舗を構える老舗「三田村呉服店」だ。長崎の秋の大祭「長崎くんち」が終わって長崎人が秋を感じ始めるタイミングで、閉店を知らせる看板を出した。

店内商品は在庫も含めて半額から8割引に
店内商品は在庫も含めて半額から8割引に

店内では呉服物が半額から8割引となるセールを行っていて、連日多くの買い物客が詰めかけている。

お得意様には閉店を知らせる手紙を出した。「びっくりして駆けつけてくれる人もいて、本当に有難い」と語るのは、3代目の三田村市郎さん(74)。

3代目 三田村市郎さん(74)
3代目 三田村市郎さん(74)

夫婦で店を切り盛りしてきたが、跡継ぎがおらず、夫婦が元気なうちに店を閉める決心をした。

「お得意様から“閉店後は着物はどうしたらいいか”と尋ねられるのが一番つらい」と語る。着物はメンテンナスが必要だ。仕立て直すと長く着られるため、お得意様とは子供や孫の代まで付き合いが続き、ご縁は切れることがない。それが呉服に携わることの喜びだと、三田村社長はこれまでの呉服屋人生を振り返った。

「つないできたものを守りたかった…」

三田村呉服店は大正7年創業。現在の長崎市興善町付近にあたる引地町に店を構えたのが始まりだ。

昭和3年、浜町アーケード周辺へ移転した時の三田村呉服店(現在の観光通り)
昭和3年、浜町アーケード周辺へ移転した時の三田村呉服店(現在の観光通り)

昭和に入って長崎市浜町アーケードに移転し、昭和43年から現在の場所で商売を続けてきた。

昭和9年に浜町アーケードに移転
昭和9年に浜町アーケードに移転

2025年で創業から107年。この説明をしながら社長は「申し訳なくてね…」と、思わず涙がこみ上げて声が詰まった。

「代々つないできたものを守りたかった。親戚たちから『よく頑張ってきたね』と労をねぎらってもらえてとても安堵した一方で、“申し訳ない気持ち”はどうしても残るんです」。

着物を手にしたときの表情がなんとも穏やかだ
着物を手にしたときの表情がなんとも穏やかだ

社長は現在74歳。夫婦ともにまだ元気だ。しかし、70歳を過ぎたときに“どこかで区切りをつけなければといけない”とずっと考えていたという。

店を閉じるにも気力と体力がいる。まだまだ頑張りたい気持ちは残っているものの、元気なうちに店を閉じることを決めた。

着物は家族をつなぎ、信頼でご縁が生まれる

三田村社長は東京の大学を卒業後、愛知県で3年間修行して長崎に戻ってきた。呉服に携わって48年になる。

店内は奥まで着物が並ぶ 
店内は奥まで着物が並ぶ 

「現代社会は何に対しても疑いの気持ちが付きまとう疑心暗鬼な世の中だが、当時、呉服屋は唯一、“初めまして”でも家の中まで上げてもらえて商売ができた。お薦めしていい物があれば、『フォーマルで着るから』と買ってくれた時代。ご婦人の着物を見立てるとそれが娘の代に受け継がれ、2代3代にわたって付き合いが続く。そうやってお得意様と家族ぐるみで付き合いが続いたことが幸せであり、とてもありがたい時代に商売ができた」と振り返る。

社長にとって着物は「家族をつなぎ、信頼でご縁が生まれる」
社長にとって着物は「家族をつなぎ、信頼でご縁が生まれる」

社長にとって着物とは―。

「着物は家族をつなぎ信頼でご縁が生まれる。着物のおかげでつながれたご縁は何物にも代えがたい宝物になっています」と、笑顔で語った。

長崎市内で呉服店組合に加盟している店は5店舗。浜んまち商店街は老舗がまた一つ姿を消すことになったが、社長は「浜んまちは他県に比べたらまだ元気。みんな頑張っていますよ」と話す。店は1月に決算を迎えるため、在庫がなくなり次第、閉店作業に入るという。

「閉店」の看板を見て買い物客が訪れる
「閉店」の看板を見て買い物客が訪れる

話をしている間も、外国人観光客など多くの人が買い物に訪れていた。

電話への対応も
電話への対応も

「寂しい話はなんか嫌だからさ。明るい記事で頼みますね」。そう言って社長は笑顔で接客に戻った。

(テレビ長崎)

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テレビ長崎
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