岩手県の北部に位置する岩手町。山々に囲まれたのどかな風景が広がるこの町は、県名と同じ「岩手」という名前を持っています。なぜ町名が県名と同じなのか…また、町内にある沼宮内の由来を探りました。
長年にわたり県内各地の地名について調査している宍戸さんによると、岩手町は昭和30年(1955年)に誕生した新しい町名です。沼宮内町・御堂村・一方井村・川口村の1町3村が合併してできたこの町は、いずれも岩手郡に属していたことから、「岩手町」と名付けられたと考えられています。
岩手町の中心部として現在も賑わう沼宮内(ぬまくない)。古くは奥州街道の宿場町として栄えたこの地名には、いくつかの由来説があります。
宍戸さんは次のように語ります。
「沼宮内の由来について説として2つ考えられる。ひとつは『ぬま・みや・うち』という訓読みで、沼がある神社のこと。もうひとつは『沼・クマ・ナイ』で、湾曲した川の内側に沼がある地形を意味しているという説です」
川や沼に関係しているという説のある「沼宮内」には、実はそれ以外にも沼宮内という地名の由来にまつわる「沼宮内伝説」と呼ばれる物語が地域に伝わっています。
岩手町の歴史を研究している岩手町史談会の橋本壽美男会長によると、「伝説の舞台は今から約1200年前。当時、沼宮内には大きな沼があり、正次という人望のある人物が住んでいました。しかしその妻は強欲で人使いが荒く、人々から恐れられていた」といいます。
ある日突然、正次の妻は大蛇に姿を変えて沼に住み着き、村人に「美しい女性の生け贄を差し出せ」と要求。抗えない村人たちは、「寄寿姫(よりじゅひめ」という娘を差し出すことになりました。
岩手町史談会 橋本壽美男会長
「よりーじゅ(寄寿姫)は大蛇のいる沼の近くまで行き、お経をあげた。荒れていた沼が鎮まり大蛇が元の姿(正次の妻)に戻った、私はこれから改心しますと。よりーじゅ(寄寿姫)がお経を上げたことで、沼も鎮まったというお話」
こうして人々は平穏な生活を取り戻しました。
その後この地は、寄寿姫によって鎮められた沼にちなみ「沼宮内」と名付けられたというのが「沼宮内伝説」です。
伝説では、寄寿姫がお経を唱えたことで大蛇の身体は5つに分かれました。
そして、それぞれ岩手町各地に祭られたと伝えられています。
岩手町史談会 橋本壽美男会長
「沼宮内には大安良神社(おおあら)がある。さっきの大蛇は尻尾と腹をこの神社に埋めたらしい。だから、『尾(お)・腹(はら)→おおあら神社』と言っているらしい」
大蛇の「尾」と「腹」が祭られたことから名付けられたと伝わる大安良神社は、現在も沼宮内伝説を地域に語り継ぐ場所となっています。
そして現在、沼宮内にある「街の駅よりーじゅ」という交流施設には、沼宮内伝説の物語が書かれたパネルや寄寿姫の銅像が展示されており、地域の人々にこの伝説を広く伝えています。
地元の小学校でも学ぶ機会がある、沼宮内伝説。
現在も大切に受け継がれているこの伝説は、沼宮内のまちに息づいています。