魚を獲る漁師には欠かせない『漁網』。魚種に合わせた網の提案や漁をする環境なども考慮したオーダーメイドの手作り漁網は、全国の漁師から高い評価を得ている。明治から約100年続く漁網職人の技をガンと闘いながら息子に継承しようと懸命に生きる母親の姿を取材した。

福岡・筑後市で約100年の歴史を誇る『馬場漁網本店』。4代目の山内律子さん(63)は、初代から受け継いできた伝統の漁網作りを今も1人で守り続けている。

『馬場漁網本店』4代目 山内律子さん(63)
『馬場漁網本店』4代目 山内律子さん(63)
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「朝8時から始めて、夕方7時くらいまでかかりますよ、休憩なしで。それで1日1本」と語る山内さん。品質を守るため、すべて国産の材料に拘り、1つ1つ丁寧に手作業で網を作り続けている。

「生きてくれ」ガンと向き合う決意

明るく、元気な山内さんだが、6年前に突如、口腔ガンが発覚。「分かった時には、全リンパに転移していて、ステージ4の診断でした。手術、放射線、抗がん剤、医者に全部言われたけど、最初は断りました。もう生きられるだけでいいと」と当時を振り返る。

しかし、『俺たちは、それじゃ納得いかん。どんなに無様になってもいいけん、生きてくれ』という家族の強い言葉に励まされ、「これだけ私を必要としてくれる家族がいるなら頑張ってみようか」と思い直したという。

「漁師にとって漁網は生命線」

福岡・八女市を流れる1級河川、矢部川。その中で網を引き揚げる漁師がいた。

「大漁でした」と網に掛かった魚を見ながら笑顔を見せる。矢部川で漁を続けて20年になる川漁師の藤井賢治さんだ。

網にかかっていたのは鮎。矢部川の鮎漁は、2025年6月1日から10月15日までが漁期で、「今年は天然物が遡上していて、二十数年ぶりの豊漁」と藤井さんの声が弾む。「我々、漁師にとっては生命線。網無くして漁はできない、鮎をとることができない」と網の重要性を強調する。その大事な網を作り続けている職人が、山内さんだ。

この日、山内さんが巧みな手捌きで作っていたのは、『張り網』と呼ばれる網。

約30メートルの網の底部分に鉛をつけ、『袋』と呼ばれる部分を作る。「鉛が立つでしょ?こう立つことによって、刺していくんです、川底に。そしたら魚は逃げない。魚は川底に潜って逃げるんです」と仕組みを説明する山内さん。

この袋があることで、水中に魚の逃げ道が無くなり、たくさんの魚を獲ることができるという。

「この袋が、ひと手間なんですが、これが重要です」と語る山内さん。手間が掛かるため、この技法を今に残す職人は少ないというが、「どうしても山内さんの網が欲しい」と全国から注文が入ってくる。

山内さんの網が漁師達に信頼される理由は、お客の状況をしっかり聞いて作るオーダーメイドの点にある。夏にかけて成長していく魚の大きさや種類、更には、川幅や深さ、流れの速さ、川底の地形なども計算して網目の硬さや重りの重量、浮きの大きさなどを細かく調整していく。だからこそ機械ではなく、手作業が大事なのだと山内さんは語る。

息子に継承するまで「生き抜く」

現在も入退院を繰り返しながら職人として仕事を続けている山内さんは、技術の継承を急いでいる。三男の智仁さんは、大学生で就職活動中だったが、母親の病を知り、5代目になることを決意。日々、伝統の技を磨いている。

「母が入院していた時に、自分も漁網関係のお客さんと話す中で、壊れたり修繕だったり新しく作ってもらうのは、ここしかないんだと熱弁された。どのお客様もそう仰っていて、その中で『絶やしたらいけない業種なんだ』と思い、漁網を継ごうかなという考えになった」と智仁さんは、跡を継ぐ覚悟を決めたと話す。

智仁さんは、職人としての伝統を後世に残すのはもちろん、新たな挑戦も始めている。

現在は空き家だが、明治初期の建物で、母の代まで4代受け継がれた馬場魚網本店の場所に受け継がれてきた道具などを展示しようと計画している。

師匠であり母親である山内さんは、「私はこの子だったらやり遂げられる。そう信じて息子にしっかり継承して、それまでは何があっても死にません。生き抜きます」と力強く語った。

(テレビ西日本)

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