昭和100年の今年、福井テレビでは昭和にスポットを当てた特集を放送している。ある日、その懐かしい映像を見て連絡をくれた男性がいる。その人は、福井県警初の白バイ隊員の息子だという。昭和30年代の写真を見せてもらいながら、当時から受け継がれる白バイ隊員の思いや交通安全の歴史を振り返る。
福井県警初の白バイ隊員
情報提供の連絡を受けて向かったのは、福井・坂井市に住む高村清和さん(64)の自宅。用意していたのは、たくさんの白黒写真だ。

福井地方裁判所前の交差点に、まだ信号機はない。警察官が手信号で交通を整理している。

県庁のお堀の前では音楽隊がパレードをしている写真は、交通安全運動の一環だろうか。交通事故とみられる生々しい現場を写した1枚もあった。

警察官だった父・清次さんの写真は、制服を着てバイクにまたがっている。清次さんは大正14年生まれ、生きていれば100歳。福井県警初の白バイ隊員だったという。
清和さんは父親から繰り返し「安全運転しろ」と言われていたという。「人に迷惑かけるな」と。
県警察史によると、福井県内に初めて白バイが配備されたのは昭和24年(1949年)で、わずか3台だった。

かつて県庁の西側にあった福井警察署の前で白バイ6台が整列している写真にも清次さんが白バイに乗って中央に写っている。発足間もない白バイ隊を写した可能性がある、貴重な写真のようです。
貴重な写真が語る発足当時の“記憶”
この貴重な写真を、現役の白バイ隊員に見てもらった。
「すごい。バイクの形も全然違う」身を乗り出すようにして写真に見入る隊員たち。

「装備が今とは全然違いますよね。乗車服じゃなくて、制服を着て白バイに乗っている」と現代との違いを口にする。「昔は交通環境とか道路環境も整っていなかったと思う」としながらも「取り締りがメインで活動していたのだと思います」と現在の活動と重ねる。
時代は“交通戦争”
高度経済成長期、福井県内の交通事情は激変した。

昭和30年に8000台あまりだった県内の自動車保有台数は、昭和40年代の後半までに20倍以上に急増。当時のニュース映像は「福井県下の自動車オートバイの数はうなぎ登りに増え、約1万3000台ということですが、またこれによる交通事故も日に日に増えています」と伝えている。

車社会化に伴い、交通事故もまた急増の一途をたどった。この状況は「交通戦争」と呼ばれ、深刻な社会問題となる。昭和46年には、福井県内で年間の交通事故死者数が過去最多の175人を記録。「目を覆いたくなる惨状」が、そこにはあった。
時代を超えて受け継がれる思い
現役の白バイ隊員である嶋田翼巡査部長は、当時の状況に思いをはせる。

「白バイの先輩隊員は交通戦争の最前線に立って、まさに命をかけて交通安全を守ってきたと思う。その人たちの努力というのを忘れずに今後も交通事故抑止活動を推進していきたい」

父の遺した写真を見つめ、高村さんも静かに語る。「少しでも事故がないように。これを機会に少しでも減ってくれれば」
1枚の写真から浮かび上がった、福井の交通安全の歴史。そこには、いつの時代も変わらない、人々の安全を願う強い思いが込められていた。