俳優の大東駿介さんが、訪れた街のうんちくや、まだ地元住民にも知られていないような魅力を探す「発見!てくてく学」。
今回の舞台は大阪・吹田市の「万博記念公園」です。
万博記念公園の入り口にドーンと強いインパクトで立っているのは「太陽の塔」。
大阪の象徴として半世紀以上にわたり人々の記憶に刻まれてきましたが…
実は1970年に開催された大阪万博の「シンボル」ではなかったんです!
大東さんも驚きの真実とは!?
■70年万博はいまの万博をはるかに上回る「6400万人」来場
いまの万博会場と勘違いしてやってくる人もいる「万博記念公園」。
【大東駿介さん】「間違えないでください!ここは1970年の万博会場!でもこっちはこっちで素晴らしい。あの時代やからこそ感じられる万博の魅力。僕プライベートでよく来るんです」
1970年に開催された大阪万博は、累計6400万人という驚異的な来場者数を記録し、「人類の進歩と調和」をテーマに世界中の関心を集めた一大イベントでした。
現在開催中の大阪・関西万博の来場者数が1700万人(※8月20日時点)を突破して大盛況ですが、70年万博の熱狂ぶりには及ばないようです。
この日、万博記念公園のツアーガイドを務める「万博オタク」二神さんの案内で、大東さんは公園内に残る当時の面影を巡りました。
■太陽の塔は屋根で覆われていた!
さて、早速問題です。70年万博のシンボルはなんでしょうか?
【大東駿介さん】「太陽の塔なんじゃないですか?」
【二神さん】「実は70年万博のシンボルではないんです」
「どういうこと!?」と驚きを隠せない大東さん。
【二神さん】「太陽の塔は当時、テーマ館の一つの部品、パーツだったんです」
実は当時、太陽の塔には大きな屋根がかかっており、「まんまるくくり抜かれてちょっとだけ顔が見える」状態だったんです。
では、本当のシンボルは何だったのでしょうか?
■アメリカ館とソ連館 東西冷戦下の競演
公園内には、当時の万博のおもかげが残っています。
パビリオンがあった場所には記念の石碑が設置されているんです。
二神さんによると、当時ダントツで人気だったのは「アメリカ館」と「ソ連館」だったそうです。
東西冷戦の最中に開催された大阪万博。
アメリカ館ではアポロ12号が持ち帰った「月の石」が展示され、最長5時間待ちを記録するほどの大人気に。
一方のソ連館では、自国で開発した宇宙船「ソユーズ」の実物を展示し、技術力の高さで圧倒しました。
【二神さん】「当時はお互いの展示内容を開幕まで一切伏せられていた」
東西の冷戦を象徴するように、両国は展示内容でも競い合っていたのです。
■“真のシンボル”はエキスポタワーだった!
公園の東側にある「旧鉄鋼館」前に、なにやらモニュメントが…。
これが70年万博の本当のシンボル「エキスポタワー」なんです!
エキスポタワーは高さ127メートルで、複数の展望スペースがあり、会場全体を見渡すことができたといいます。
太陽の塔の視線の先に建てられ、当時は万博のシンボルとして多くの人々に親しまれていました。
実は、万博終了後、エキスポタワーは永久に残される予定で、太陽の塔は取り壊れることが決まっていました。
しかし、太陽の塔の取り壊しを中止するよう求める声が相次ぎ、永久保存が決定。
一方、エキスポタワーは閉幕後、展望台として営業していたものの、老朽化が進み、2003年には完全に撤去されてしまいました。
【二神さん】「残るはずだったものが取り壊されて、壊されるはずのものが今でもあれだけカッコよく立ち続けています」
【大東駿介さん】「主演俳優が降板してスピンオフが始まったみたいな!」
■世界最大級!国立民族学博物館のこだわり「露出展示」
万博記念公園の敷地内には国立民族学博物館があります。
1977年に開館したこの博物館は、世界各国の民族学に関する調査研究を行うことを目的に設立されました。
館内は9つの地域に分かれ、世界中の民族資料約1万2000点が展示されています。
全部回ると4キロ以上になる、世界最大級の民族博物館なんです。
日高真吾教授に案内してもらいました。
館内では「伊勢エビ」のようなガーナの棺桶や、ミクロネシアのサタワル島から3000キロ離れた沖縄まで航海した「チェチェメニ号」など、珍しい展示物の数々を見学。
特徴的なのは「露出展示」にこだわっている点で、ほとんどの展示物はケースなどに入れられていません。
【日高教授】「いろんな国の文化や生活を知ってもらいたい。感動が大きな要素になってきます」
日本エリアでは、各地のお祭りで使われる道具やモニュメントが展示されており、大東さんは「日本の文化も知らないものがいっぱい」と大興奮でした。
■「文化が復活すると地域が元気に」文化財に欠かせない修復への想い
日高教授は保存科学という分野の専門家で、破損した文化財の状態を調べて修復したり、劣化を防ぐための処理を施したりする研究活動を行っています。
特に地震などで被災した土地を実際に訪れ、破損した文化財を救出する活動も精力的に行っているそうです。
【日高教授】「文化がもう一度復活してくると、地域が元気になってくる。文化は共通言語ですね」
【大東駿介さん】「博物館は知る場所というだけにとどまらないんですね。日本中の祭り行ってみたい!」
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」 2025年8月21日放送)