熊本県立美術館本館で『生誕100年 山下 清展 百年目の大回想』が開催中です。山下清の甥が見た『放浪の天才画家』の素顔に迫ります。
【山下 清の甥(弟の長男)/山下 浩さん】
「旅をしながら絵を描く画家としてテレビドラマで放送されました。実際は旅先で絵を描いていません」
山下 清の甥にあたる山下 浩さんです。熊本県立美術館本館での『山下 清展』の開催に合わせ、家族だけが知る清の人柄やエピソードなどを語りました。
【山下 浩さん】
「幼い頃に吃音、どもりが出始めて、言葉がすぐに出てこなくて、小学校に上がった時に非常にいじめられました。性格は非常に温厚でしたので、いじめには取り合わずに『一人で原っぱで虫を採ったり、花を取ったりして、家に帰って、その絵を描いて暮らしていた』と言っています」
清が10歳の時に父親が病死。家計が苦しくなり、清の心はひどく荒れたといいます。そして、12歳の時に入った千葉の養護施設『八幡(やわた)学園』で千切り絵(貼絵)に出合いました。
【山下 浩さん】
「折り紙を大きく切って、貼ったものです。この千切り絵に山下 清は没頭しました。いじめられない世界を初めて見つけたんです。自分だけの世界を見つけた」
「昭和15年、1940年の秋にふらっと放浪の旅に出ました。18歳の時です。だいたい1年から3年ぐらい旅します。東京の家に戻って『あの旅よかったね』と思い出して描いていた。山下 清の作品は絵日記なんです。何年経っても忘れることがない。むしろ、実際の風景よりも色鮮やかになって、作品になっている。これが山下 清の風景だと思います」
「私も子供の頃、伯父に『なんでこんなに細かいことをするの?』と聞いたことがあります。答えは『これが当たり前なんだよ』と。伯父にとって、どこを省略すればいいのかが分からない。一つも抜かすことはできない。要は抽象にすることの方が難しいんです。要はこれだけ細かくした方が山下 清にとっては安心なわけなんです。これが山下 清の作品の本当の真実だと思うんです」
「わずか49歳、脳溢血で他界してしまいました。非常に短い人生だったわけです。最後の言葉は『今年の花火見物はどこに行こうかな』でしたが、本当に短い花火のようにパッと開いて終わってしまった人生なんですけども、私が非常に学んだのは清は何でも聞くんです。分からないことは何でも聞く。『分かったふりをしている方が恥ずかしい。聞いて分かった方がいいじゃないか』とよく言っているんです。芸術家としては、常にやっぱり知りたいんだと思うんです。そういった姿勢は非常にあったと思います」
山下 清が描いた、心に残った風景の数々。それは色あせることなく、愛され続けています。
『生誕100年 山下清展 百年目の大回想』
熊本県立美術館本館で8月31日(日)まで開催