8月22日、94歳で亡くなった島原市の元市長鐘ヶ江管一さんの告別式が、25日島原市で営まれました。

雲仙・普賢岳の噴火災害から市民の命や暮らしを守ろうと力を尽くした「ひげの市長」。当時を知る人達が別れを惜しみました。

告別式には親族や市民のほか当時、災害派遣で島原に入り対応にあたった元自衛隊員など300人以上が参列しました。

鐘ヶ江さんは島原市の市長として 雲仙・普賢岳の噴火災害で陣頭指揮を執りました。

災害派遣で島原に(当時の防衛班長)三浦正司さん
「(市民の)生命、財産を守るために俺は何をしたらいいか、と常に考えていた人だった」

1991年6月3日に発生した大火砕流の数日後に住民の立ち入りを禁止する警戒区域を設定、市街地での大規模な設定は全国で初めてでした。

安中地区町内会連絡協議会 横田 哲夫 会長
「設定がなかったらどうなっていたか分からないし(市民の)命を守るために苦渋の決断で設定してくれた」
「元市長がいてくれたおかげで安中地区も見事に復興できた感謝しかない」

故人を表す戒名にも「山」の文字が。

退任後も講演や著書などを通して災害の教訓を伝え続けてきました。

雲仙岳災害記念館 杉本伸一 館長
「杉本、一緒にやろうねといつも背中を押してもらった」
「(鐘ヶ江)名誉館長の教え、思いをちゃんと引き継いで これからも続けていきます(と手を合わせた)」

参列者は、別れを惜しみながら、当時を支えた人たちの遺志と災害の教訓を受け継いでいくと誓っていました。

テレビ長崎
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