大量の焼夷弾は夕立のような音

仙台市青葉区に住む広瀬喜美子さん。宮城女学校・現在の宮城学院の英文科を卒業し、長年、通訳の仕事をしていた。今でも英語の勉強を続けている。
広瀬喜美子さん:
どこに行っても英語は通じるでしょ。だから、こんな楽しいことないね。

広瀬さんは1933年生まれ。日本が太平洋戦争に突入した時は小学3年生、8歳だった。現在の青葉区大手町にあった自宅の庭には、父親が造った防空壕があったという。
広瀬喜美子さん:
レンガがね、いっぱい転がっていたの、川の岸にね。で、うちの父はね、そのレンガを拾ってきて、レンガを防空壕の壁にして。5人入ったら、ギリギリいっぱいじゃない?
そして1945年7月10日未明、広瀬さんが12歳のときに「仙台空襲」は起きた。
アメリカ軍の爆撃機B29、123機が来襲し、約1万3000発の焼夷弾を投下。中心市街地の3割近く500万平方メートルが焼失し、約1400人が亡くなった。広瀬さんは当時のことを今でも鮮明に覚えている。
広瀬喜美子さん:
ザーって音がするんですよ。焼夷弾が落ちてくるのは。夕立みたいな音がするの。
空襲警報が鳴り、両親と3人で自宅の防空壕に避難しようとしたが、防空壕には近所の人が逃げ込んでいた。
広瀬喜美子さん:
表通りにいる人たちがみんな、川の方へ逃げてくるわけですよ。そうすると、門なんかも破って、うちの防空壕にみんな入ったから、父と母と私とは入りようないの、もういっぱいで。
広瀬さんたち家族は仕方なく自宅にあった桜の木の下に避難。その時、異様な光景を目にした。
広瀬喜美子さん:
空を見たら火の粉が渦巻いていたんですよね。真っ赤でしたね。

夜が明けてから見た、空襲で焼け落ちた街、亡くなった人々の姿は、今も心に焼きついている。
広瀬喜美子さん:
町の真ん中は全部焼けた。一番町、国分町、それから市役所のあたり。防空壕から亡くなった人たちがお人形さんみたいになって引き出されるのを、見たりなんかしたからね。ああいう思いだけはしたくない。本当に。
記憶を後世に 高校生の取り組み

広瀬さんの記憶を後世に残そうとする高校生たちがいる。仙台工業高校 模型・動画部だ。
戦争を体験した人の証言をもとに模型を作り、それをコマ撮りしてアニメーション動画を作っている。当時の記憶を映像として残そうと、10年前に始めた。
仙台工業高校 下村由夏教諭:
仙台空襲の写真がほとんど残ってないんですね。それで、見たものを残してあげたいという思いがあって。

今年は広瀬さんの証言をもとに制作に取り組んでいる。広瀬さんから話を聞き、当時自宅のあった場所なども一緒に訪ねた。
自宅の庭にあった防空壕は、拾ってきたレンガで作ったという壁を忠実に再現している。
防空壕の模型を担当 田嶋翔太さん(高3):
レンガの部分も紙粘土ですね。階段も竹串なんかを使って作りました。
広瀬さんが見たという渦を巻く火の粉の再現も、工夫を凝らした。
渦巻く火を担当 鈴木悠雅部長(高3):
実際の炎のようにオレンジとか赤、白でグラデーションを付けたり、ここはこの色になるのかならないのかというところが一番難しいかな。

この模型を背景にセットし、少しずつ動かしながら写真を撮って、動画にしていく。
B29のコマ撮りを担当 庄司勇斗副部長(高3):
60枚の写真なら長くて12、13秒の映像ですかね。
編集を行う部員もより伝わる作品を作ろうと知恵を絞る。
映像の編集を担当 駒井結夢さん(高2):
ただテロップを打つだけではなく後ろに四角の枠を入れて字幕を見やすくしたり。(映像を見た人には)こういうことがあったということを受け止めて、忘れないで伝えていってほしい。
証言をもとに 次の世代へ記憶の伝承

初夏のある日、広瀬さんが模型部を訪れた。部員たちは模型について記憶と違っていないか助言を求める。
生徒:
火の柱の大きさはこれより大きかったですか?小さかったですか?
広瀬喜美子さん:
もっと大きいと思うな
戦争を体験した本人にしか語れない貴重な記憶。部員たちは次々に質問し真剣に耳を傾ける。
話を聞いて、修正点が見つかった。
B29のコマ撮りを担当 庄司勇斗副部長(高3):
夕立の音のように聞こえるくらいの、ザーという、とてつもない焼夷弾の量というのを聞いて、もっと焼夷弾の模型の数を増やしていいんじゃないかと思いました。

模型にはまだ改善の余地も残されているが、広瀬さんは、自分の記憶を高校生が伝承する姿に感銘を受けたようだった。
広瀬喜美子さん:
本当によくできていると思いました。経験もしていないのに、想像の中からあのように作っているのは感心しました。
私みたいな戦争経験者はいつかは死んでしまう。今の若い人たちがそれを語り継いでくれるというのは、本当にいいことだと思う。とても素晴らしいことだと思う。
戦後80年。同じ悲劇が二度と繰り返されないよう、高校生たちが記憶をつないでいる。
仙台放送