鹿児島県枕崎市といえば一番に思いつくものは何でしょうか?
カツオという方が多いのではないでしょうか。
以前このコーナーで鰹節について取り上げましたが、実はこの枕崎市、長年アートにも力を入れているのをご存じでしょうか?
ではなぜアートの街になったのか?
その歴史の裏には見る人も制作者も巻き込む長年の取り組みがありました。
2025年5月。
準備が進んでいたのは、枕崎国際芸術賞展の最終審査。
3年に一度開かれる枕崎市主催の現代アートの国際コンクールです。
審査を取り仕切るのも市役所の職員です。
芸術の世界に精通した4人の審査員からはこんな厳しい言葉も飛び交います。
画家 東京藝術大学名誉教授・保科豊巳さん
「展示の時にコンセプトを貼った方がいい」
作品の並べ方一つからも芸術展に関わるそれぞれの本気度が伝わってきました。
枕崎市。
かつお節の香りが漂うこの町を歩くと、いろんな発見があります。
美川愛実キャスター
「こちら。何だか仲良く手をつないでいる人にも見えますね・・タイトルは家族だそうです」
ここにも、ここにも!
街中には100の立体作品が。
実はこの一つ一つが、枕崎市が開催したコンクールの受賞作品で、今もこうして街の一部になっています。
ちょっと意外かもしれない枕崎とアートの関係。
市の職員で9年前から文化芸術に関わる業務に携わる中嶋さんにそのルーツを聞いてみると。
枕崎市文化資料センター南溟館・中嶋章浩館長
「市長と直接話したことはないが、本人も芸術的な作品を作っていたと聞いている」
昭和53年から3期12年、市政の舵取りをした田代清英元市長。
実は枕崎駅にあるこの彫刻も、田代さんの作品をもとにしたもの。
市民からの「文化活動の拠点がほしい」という声に応え、田代さんが尽力したのが先ほど審査会が行われていた南溟館のオープンです。
ここでオープン当初から始まったのが「風の芸術展」でした。
枕崎から全国へ文化を発信する。
そんな思いで続けた公募展は10回を数え、2016年から今の枕崎国際芸術賞展にリニューアル。
国際色を強め作品数も増加し、全国屈指の規模の公募展として「美術界の登竜門」と呼ばれる存在になりました。
国内外から834点の作品が寄せられた今回。
作品の中には、地元枕崎で生まれたものも。
黙々とオクラを収穫するこちらの男性。
作品を制作した上木原健二さんです。
畑作業を終えて向かったのはまるまる一棟、制作のために使っているアトリエです。
コンセントから出てきてフレンチクルーラーに向かう生き物たち。
タイトルは「我々はどこから来て どこへ行くのか」
具体的なテーマは設けず、心の奥底に見えた風景を描くのが上木原さんのスタイル。
頴娃町出身で、25歳の時に独学で絵を描き始め、4年前に枕崎で経営していた美容室を閉じ、芸術と農業で生きることにしました。
数々の公募展に出展していますが、地元のコンクールにはまた違った魅力があるそうです。
上木原健二さん
「今回もそんなに親しくしていないおばちゃんから電話がかかってきて、『おめでとうおめでとう』ってそんなにしゃべらない人も言ってくれたり(他のコンクールとは)ちょっと違います」
そして7月21日。
枕崎国際芸術賞展が始まりました。
会場に集まった受賞者はほとんどが県外から。
作家同士の話も弾みます。
自画像を描いたイアンさんと、自身を彫刻作品にした末次さん。
イアンさん
「(普段は)着ぐるみを着て仕事してるわけではないから、物語的に置き換えた自画像みたいなこと?」
末次さん
「そうとも言える」
文化の拠点として続いてきた南溟館。
しかし長年続いてきたからこその課題にも直面しています。
中嶋館長
「施設を運営していく中で一番大変なのが、経費、運営経費ということになる。小さな街がやっていくには本当に大変なこと」
この企画展の後、5000万円を超える屋根の大規模な改修工事も予定されています。
予算が切り詰められがちな芸術の取り組み。
どう施設を維持していくかも今後の課題です。
中嶋館長
「時代の流れとともに変わっていくが、それを受け止めながら続けていきたい」
美川キャスター
「好きな作品ありましたか?」
子どもたち
「ポテトチップス」
保護者
「子供もこういう目で作品を見るんだって、こっちも新しい発見になりました」
中嶋館長
「これからたくさんの人に来ていただきたい。それを待ち望むところ。枕崎を愛していただくということが我々一つの目的なので、これからも取り組みを一生懸命やっていきたい」
にぎわう南溟館の入り口にたたずむ1つの作品。
これは6年前に市民たちが一緒に作りあげた街中で100番目の設置作品です。
球体で表現された一人一人の心が船に乗って、未来に向かう様子が表現されています。
アートの風を、南からー
多くの人を巻き込んで、枕崎市の取り組みは続きます。