サッカー元日本代表で歴代最多の75得点を記録した釜本邦茂さんが2025年8月10日死去したことを受け、三浦知良選手が所属するアトレチコ鈴鹿を通じて、コメントを発表しました。

【三浦知良選手のコメント全文】

具合が悪いとお聞きしており、ずっと心配していたのですが、訃報に接しまして本当に残念です。

釜本さんは40歳までプレーされた。あの当時、その年齢までプレーされた選手はほとんどいなかったはずです。

ブラジルのサントスの下部組織でプレーしていた40年近く前のこと。コーチからロッカールームに呼ばれると、シャワーを浴び終えたばかりのペレがいました。
「サントスで頑張っている日本のカズだ」とコーチが引き合わせてくれました。するとペレが言いました。

「お前、カマモトを知っているか? 俺の友人なんだ。引退試合にも呼ばれてね。ものすごい太もも、ものすごいシュートを持っている、ものすごいストライカーなんだぞ」

日本の選手であることを蔑視されることも多かった時代に、あの「キング・ペレ」がガマさんを「最高のストライカーだ」と語るのを聞いたとき、日本人としてものすごく誇らしかったことを、今でも思い出します。

国際Aマッチとしての代表チーム同士の対戦が限られていた時代に、日本代表で75得点。クラブチームとの対戦でのゴールも含めたら200ゴール近くまで到達していたんじゃないですか。

ウソか誠か、50年近く前の当時にイングランドのアーセナルからオファーがあったとも聞きました。そのくらいガマさんの名前は世界にとどろいていました。

どの時代でも、評論家の方々から、日本代表は「釜本のようなセンターフォワードがいればもっと強いのに」と、ことあるごとに言われ続けてきたような気がします。時が流れてもそのすごさは、薄れることなく受け継がれていました。

僕が34歳のころ、京都サンガでの練習試合を見に来てくださいました。「俺は40歳間近のころは怪我でほとんど試合に出られなかったけれど、カズは40歳までしっかりやりきれよ。もう一回代表にいけ」と叱咤していただきました。

58歳までやってしまっていますけれどね。ことあるごとに気にかけてくださって、フォワードとして点を取る孤独さを理解してくださっているんだなと、勝手に喜んでいました。

目標とするには遠すぎる方でした。本当にありがとうございました、という感謝の言葉しかありません。心からご冥福をお祈りいたします。

三浦知良

東海テレビ
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