広島への原爆投下から80年の日を前にお伝えするのは、原爆開発の負の遺産に苦しみ続けるアメリカの街の現状です。
アメリカ中西部ミズーリ州のセントルイス。
この街の中心部では、第二次世界大戦中に大規模なウラン精製が行われ、原爆開発で重要な役割を担いました。
その郊外では、発生した大量の核廃棄物がドラム缶に入れられるなど、ずさんな方法で管理されたため、一部が河川に漏れ出し、汚染が広がったのです。
子供たちが遊ぶ公園のそばでも放射性物質が埋まっているということで、注意喚起されています。
30年近くにわたり陸軍などが除去作業を行っていますが、今もまだ汚染された場所の特定すらできていません。
3年前には小学校の敷地から放射性物質が突然検出され、廃校に追い込まれる事態に。
除去作業が完了するには、さらに10年以上はかかるとみられています。
汚染された小川沿いでは、健康被害も深刻です。
市民たちが調査した、がん患者の分布図では、がんの発症者を示す赤い点は、小川沿いに集中していることがわかったのです。
幼少期から30年近く小川のそばで暮らしていたジム・ガフニーさんは、20代の時にリンパ腫を患ってからこれまでに合わせて5種類ものがんを患い、闘病を続けています。
ジム・ガフニーさん:
(Q.当時の原爆開発計画を責めている?)もちろん。でも発症した今、もう手遅れだ。
長男のジョーイさんも18歳の時に甲状腺がんを発症。
医師からはウクライナのチョルノービリ原発事故の症例のようだと指摘されました。
ジムさんの妻・スージーさん:
(汚染を)知っていたら、あの地域に家を買わなかった。長男、そして夫の人生も変わった。多くの家族の人生が一変した。
人類が生み出した悪魔の兵器。
その負の遺産は80年たった今もなお、世代を超え、アメリカの住民をも苦しめ続けています。