キツネの不思議な力が宿り、「一族に繁栄をもたらす」とされる「狐の玉」をまつる風習が、福井県の嶺南地方にある。その正体を明らかにしようと、一族で大切に受け継いでいる人々を取材すると、不思議な体験を語る男性が現れた。
“白い玉”にまつわるお告げ
狐の玉に関する風習を約40年前に日本で初めて明らかにしたのが、福井・美浜町在住の民俗学者・金田久璋さんだ。

金田さんが研究を始めるきっかけとなったのが、約80年前に美浜町を舞台に繰り広げられた不思議なエピソードだった。

登場人物は、美浜町丹生にある阿弥陀寺の大久保住職と、同町在住の郷土史家・本間宗治郎氏。
ある日、本間氏が丹生の海岸で貝を拾っていたところ、松の枝に白いフワフワとしたものが引っかかっていた。その珍しさにひかれた本間氏は、少し離れた自宅に玉を持ち帰り、まつることにした。

それから7年ほど経ったある朝、阿弥陀寺で大久保住職が読経をしていると、突然お告げが。
『私は本間家でまつられている玉である。時々もまれたり引っ張られたりして困っている。丹生に帰りたいので迎えに来てほしい』
そのお告げを受けた住職は、連絡も入れずに急いで本間家へ向かった。すると思いもよらない光景を目にする。

本間氏は羽織袴で、しかも玄関に水を打ってお迎えしていたのだ。
何も知らないはずの本間氏が、なぜか正装して出迎えていた。訳を聞くと、なんと自分にも同じようなお告げがあり、住職の訪問を分かっていたという。
こうして「玉」は、お告げ通り丹生にある阿弥陀寺にまつられることになった。
実は…扱いに困っていた
それから数十年後、この不思議な話を大久保住職から聞いた金田さんは深く心を動かされ、「狐の玉」の本格的な調査に乗り出すことになった。

現在、阿弥陀寺は建物の老朽化により、別の寺に統合されているが、今はご子息がその跡を継いでいるということで、話をうかがうことにした。

住職に、いまも狐の玉があるのか尋ねると祭壇の奥を指差す。「こちらの小さいお社におさめてあります」。住職は、先代から詳しい話を聞いておらず「実際に玉を引き継いでから、どういうふうにおまつりしていいのか困った」という。

一時は山に返すことも考えたが、金田さんと話すうちに思い直し、玉はそのまま残すことにしたという。
住職の前に突如現れた白いキツネ
そんなある日、住職の身に不思議な出来事が起こる。

「何気なくお墓の方を見たら、そこに白いキツネが一匹いたんです。すごくきれいなんです。結構大きかったですよ。普通に立っていてずっと私のほうを見ていて、20~30秒くらいしたらスーッと山のほうに帰っていったんです」

突如現れ、そして静かに姿を消した白いキツネ。
「まぁ…不思議な感覚と言いますかね。何か玉とつながりがあるのかな」そう感じたという住職。

金田さんはこう解釈する。「いかにもね、今後とも大事におまつりしてくれることを喜んでいるような、そんなメッセージに受け取れるわけです」
毛が揺れた!?
80年以上も前から大切にまつられている狐の玉。今はもう扉を開けることはなく、ほぼ閉めっぱなしだというが―
「たまにね、自然と開いているときはありますよ」

まさか、玉が自分で扉を開けるとでもいうのだろうか。気になる「狐の玉」を見せてもらうことにした。
と、その時―

金田さん:
「揺れてる。毛が揺れてる」
慌ててカメラを向けるが―
金田さん:
「この辺りの毛がかすかに揺れてる。今は止まってるけども、確実に揺れてました」
残念ながら、その様子をカメラでとらえることはできなかったが「80年間経ってもこうやって立派にまつられているのは本望では」と金田さんは話す。
猛禽類との関係が!?さっそく調査へー
福井県では、嶺南地方にだけ残るという狐の玉への信仰。ただ、ただ、金田さんによると「狐の玉」に似た「毛玉状の謎の物体」の目撃談は全国各地に残っているという。地域によって独自の名前があり、例えば「ケセランパサラン」という呼び名は東北地方をはじめ、他の地域でも使われている例が確認されている。

「狐の玉」の正体を解明するべく、訪ねたのは兵庫県の姫路市立動物園。取材の目的を伝えると、猛禽類の展示エリアに案内された。

そこにあったのは「ケサランパサラン」の看板。実はこれ、狐の玉に似た物体「ケセランパサラン」の別称。この動物園では、その正体について動物学的な視点から展示・解説している。
飼育員に猛禽類との関係を教えてもらった。

「動物園ではワシやタカを飼っているが、この鳥たちがウサギやネズミなどの小動物を捕食する時に、最初に羽根や毛を食いちぎって中の肉を食べ始める。ちぎれた毛皮はその場に残され、やがて自然乾燥して縮まり、最後には毛玉のような姿になる」

これが動物学的視点による「ケサランパサラン」の誕生のメカニズムだ。展示されているのも、実際に猛禽類の小屋の中で発見されたものだという。
では「狐の玉」も猛禽類によるものなのか。だが、飼育員に玉の写真を見てもらうと「違うと思います」という答えが返ってきた。

確かに動物園のものは毛がまっすぐ伸びているのに対し、「狐の玉」の毛は様々な方向に流れているように見える。
福井・小浜市の家で取材した「狐の玉」には硬い芯があった。それについて飼育員に聞いたところ、猛禽類が出した玉は「肉の乾燥したものが核になっている感じ」だといい、芯があるのは狐の玉と共通する。

そのほかにも、共通点と相違点の両方がいくつか確認され、「狐の玉=猛禽類説」の可能性は否定できないものの、断定には至らなかった。
「信仰心が幸福をもたらす」
いまだ多くの謎が残る「狐の玉」。約40年間、様々な玉を見てきた金田さんは、その正体をこう結論付ける。「・・・・狐の玉です。神通力を秘めた、霊力のある、呪力のある狐の玉。

科学的に決着を付けようと思えばDNA検査をやれば一目瞭然だと思います。やっぱり信じるか信じないか。信じることが力にもなるし、幸福をもたらしてくれるのです」

その正体が何であれ、「玉」を信仰し、大切に守ってきた人々の心は、これからも変わらず受け継がれていくことだろう。