キツネの不思議な力が宿るとされ、平安時代の説話集「今昔物語集」にも描かれる「狐の玉」。空想の産物にも思えるが、地元の民俗学者の調査で、実は、福井県内には“実物”とされるものが密かにまつられていることが判明。代々、先祖から受け継ぎ守り続ける人たちに、その謎の物体について話を聞いた。
◆大切にまつるも色や形に変化が
小浜市に住む川畑哲夫さん(75)。「僕がまだ小さい時、70年以上前の話だけど、炭焼きをしていた父親が山奥に行ってパッと見たらこんな玉が落ちていた、と」

山に落ちていたのは、これまでに見たことのないような不思議な玉。どこで知ったかは定かではないが、「持てば運が向く」と聞いていた父親は家に持ち帰り、大切にまつることにしたという。

「おじいさんや父親はご利益があるといって毎日手を合わせていましたから。子供の時に見たときは丸い白い玉だったけど、この前久しぶりに開けたら崩れていました」

さっそく見せてもらうと、灰色の毛が。かつてはもっと大きく真っ白だったそうだが、いつの間にか小さくなり、色も変わってしまったという。

以前、調査の際に目にした民俗学者の金田さんも「確かに崩れてます。理由は分かりません。色も変わってます」と不思議そうな様子。
ちなみに、金田さんとともに以前訪れた大澤家の玉の中には、硬い芯があったがー
金田さん:
「触らせていただきます。…無いですね全然」

つまり、「狐の玉」には芯のあるものと無いもの、少なくとも2つのタイプが存在することになる。また、大きさが変わったり、色が変化したりと、まるで生き物のように姿を変えることもあるようだ。
◆大火を免れた川畑家
さらに川畑さんは、玉の不思議な力を感じさせるような体験談を明かしてくれた。昭和32年、川畑さんが小学校1年生だった頃、小浜市池河内の集落で大規模な火災が発生。幸いにも死者は出なかったが、集落の3分の1が被災するほどの深刻な被害をもたらした。

「お寺も向かいの集会場も全部燃えて、この家の周りは全部焼けてしまったんですけど、私のとこ一軒だけが焼けずに残って」
周囲の住宅が次々と炎に包まれる中、なんと川畑さんの家だけが燃えずに残ったというのだ。「うちのおじいさんやおばあさんらは、玉のおかげやと、なお一層、毎日手を合わせて信仰心が熱くなったんじゃないでしょうか」

ここでも、家族の心の拠り所として、「狐の玉」が大切に受け継がれていた。
◆狐の玉は「生きている」
その後も集落で取材を続けていると、川畑さんの親戚だという男性に出会った。「狐の玉」の取材で来たことを伝えると、なんと自分の家にも昔あったと語り始めた。もしそれが本当なら、まだ金田さんも知らない“新情報”になる。

「うちのおばあちゃんが家の後ろで拾った。白い毛がふわ~っとしたやつで、私は手でむちゃくちゃしたんですけど、そしたらふわ~っと…生きてるんですわ」

まるで生きているかのような、フワフワとした玉。その扱いに迷い近所の神社に相談した所、自宅でお祀りするよう告げられたという。その後、さらに驚くことが。フワフワとしたその玉は「女の人が顔に塗るおしろいね、あれをたべるんや」という。

金田さんによると、「狐の玉」信仰には、玉をまつる際におしろいを入れるという特徴がみられるという。実は、これまで取材した2軒でも、玉の入れ物にはおしろいが入っていた。

ところが男性によると、毎日少しずつ減っていたおしろいオシロイが、ある日を境に減らなくなったという。「この中におしろいを置いておくと食べたんや。家の中に置いてあるのに減っていった」それを見て男性は、“玉の命が尽きた”と感じたという。
◆オリンピック選手を輩出!?
実は玉の命が尽きる前、男性はキツネを神様のお遣いとしてまつる伏見稲荷大社のお札を玉のそばにおまつりしたというのだ。「そしたらケンカになったのか、死んでしまったんや。死んだというのは…おしろいを食べなくなったんや」

男性がその玉の写真があるというので見せてもらうと…丸い入れ物の中におしろいがあり、その上に丸い毛玉のような塊が写っていた。「おしろいを入れておくと減ったんや…これは生きてたんや」
そして男性も、この玉の“ご利益”を口にする。「これを拾うと縁起がいいとかいうもんで。うちの家もおかげさんでオリンピックに出た子がいるんですわ」

なんと男性は、アテネオリンピック・バスケットボール日本代表の川畑ひろみ選手のお父さんだったのだ。「やっぱりご利益があるんかな~と思ってね」
色も形もさまざまながら、家々で大切にまつられてきた「狐の玉」。正体は不明ながら、深い信仰心のもとに守られていた。