福岡市の海の中道大橋で起きた飲酒運転死亡事故から19年。3人の子どもを失った遺族が、高校生を前に初めて講演した。
心の奥に収めた『あの日の記憶』
「出産当時、この子のママになるために私が生まれたんだな。私が生まれたこと自体に、感謝の気持ちが芽生えた」

7月11日午後、福岡市東区の博多高校で、生徒たちの前に静かにかたちかけるのは、海の中道大橋飲酒事故で最愛の3児を亡くした大上かおりさん(48)だ。約1200人の生徒たちの前で、ときに声を震わせながら当時の出来事を語った。

2006年8月、海の中道大橋で、大上さん一家5人の乗る車は、飲酒運転の車に追突されて橋の下の海に転落。1歳から4歳までの幼いきょうだい3人が水死した。家族の幸せなひとときが悪夢となった事故は、社会全体に大きな衝撃を与えた。

そんな痛ましい事故から19年。一度、心の奥に収めた『あの日の記憶』を大上さんは、初めて語った。

「その日、私たちはカブトムシが大好きになった子どもたちと昆虫採集に行きました。自宅に戻り始めました。海の中道大橋に差し掛かったときです。『ドン』と後ろから1台の車が追突してきました。次の瞬間、車の中に一気に水が入ってきました」

割れたフロントガラスから脱出し、水面から顔を出したとき、状況を理解した大上さん。小さな窓から再び車内に戻り、なんとか2人の子どもを助け出した。

「2人を助け出したときに『絶対、生きて帰るぞ』『絶対に家に帰るぞ』と思いながら助けました。紘くん、あと、紘くんだけだと思いながら潜りました」

2人の子どもを夫に託し、長男の紘彬ちゃんを探すも見つからず、海面に出ると、絶望の光景が広がっていた。
目の前に広がる絶望的風景
「3人とも海の中に沈んでいました。そのときに私は恐ろしい決断をしなくてはいけませんでした。もう1回、紘くんを助けに行きたいけど、助けに行っている間に3人が死んでしまう」

「いまさっきまで『カブトムシとりに行く』ってあんなに喜んでいたのに、本当に、たまらない。この子たちが目の前で死んじゃうのかなと」

「私はどうしたかというと、沙彬ちゃんと倫くんを助けることを選びました。ということは、紘彬は死ぬっていうこと…」

しかし、その後、3人の子ども全員が息を引き取った。

現在、高校3年生の娘がいる大上さん。同世代の子供たちに伝えたいのは、3人の子どもが遺したメッセージだ。

「どうして自分だけ助かったんだろう、罪悪感のなか、19年間生かされている意味を考えてきました。その答えの1つをここで伝えたい。それはみんなが、ここにいるみんなが持っているかけがえのない命だということ」

「むごい、こんな死を迎えなければいけなかったその原因が、飲酒運転なんです。皆さんは、自分の意思で飲酒運転をしない大人になってほしいなと思います」
(テレビ西日本)