「県警が私の逮捕までに収集した各証拠の中に、私ではない真犯人がいるというエビデンスが絶対に見いだせると確信している」
筆者に手紙でこう訴えるのは、強盗殺人の罪で無期懲役の判決が確定した緒方秀彦受刑者(66)。
刑務所で14年間無実を訴え続け、裁判のやり直しを求める受刑者の声が今月26日、裁判所に届けられる。
「人権の砦」を担う裁判官はこの声をどう聞くのだろうか。
20年前の「神戸質店事件」と再審請求までを取材した3回にわたる連載記事の最終回。
(関西テレビ・司法キャップ 菊谷雅美)

■「雪冤を果たさないと将来はない」無期懲役の受刑者が再審申し立てへ
「私には再審雪冤※を果たさないと将来はない。晴れて当所(岡山刑務所)の正門より出てから将来を考える」「(刑務所を出て会いたい人は)初めは父母と元妻と娘たちの家族だったが、父を亡くし元妻たちも放ったらかしたまま十有年を過ぎ、今は全ての私が迷惑を掛けた、又今も掛けている人々に会って感謝の気持ちを伝える方が先だと考えている」(原文ママ)
(※「再審雪冤」再審=裁判のやり直しによって、雪冤=冤罪であることを証明すること。「雪」は「すすぐ」の意)
岡山刑務所からこの手紙を筆者に書いたのは、強盗殺人罪で服役中の緒方秀彦受刑者(66)。現時点では出所の見込みのない無期懲役囚だ。

■「1年10カ月前の記憶による目撃証言」で1審「無罪」2審「無期懲役」
20年前、神戸市内の質店経営者が殺害され、現金1万650円が奪われた「神戸質店事件」。
検察は、殺害現場の質店兼住居から緒方受刑者の指紋や靴跡が発見されたこと、そして店の前で「不審な男を見た」「それは緒方受刑者であった」とする目撃証言から、緒方受刑者の犯行を立証した。

しかし、当時、電気工をしていた緒方受刑者は、被害者から防犯カメラの設置依頼を受け、現場を訪れたことがあったといい、指紋や靴跡は、“事件当日”についたものであることを示す証拠とはならない。
そこで、裁判の“カギ”となったのが、目撃証言だった。
1審の神戸地裁(岡田信裁判長)は、目撃者が不審な男を緒方受刑者だと判定したのが、目撃から1年10カ月後であったことなどから「目撃証言の信用性に疑問が残る」として、無罪を言い渡した。

しかし、2審の大阪高裁(小倉正三裁判長)は一転、「証言は信用できる」として、無期懲役の有罪判決を言い渡したのだった。

■事件から20年 再審請求へ 弁護人「ようやくスタートラインに立った」
判決確定から14年。
緒方受刑者は6月23日、冤罪被害者の救済活動をする団体「イノセンス・プロジェクト・ジャパン(IPJ)」の支援を受けて、大阪高裁に再審請求の申し立てを行う。
申立てに必要な「新証拠」は、有罪の決め手となった「目撃証言の信用性」を科学的に検証した結果と心理学者の意見書だ(詳細は第2回記事を参照)。

申し立てを1週間後に控え、1審から弁護人を務めてきた戸谷嘉秀弁護士は、準備が整ったことを緒方受刑者に伝えるため、岡山刑務所を訪ねた。
その表情からは、期待と不安の両方が窺えた。
戸谷嘉秀弁護士:再審開始までのハードルが高すぎるじゃないですか。『今から(再審請求書)出しますわ』というのは、『ようやくスタートラインに立ちました』というような話だから。

■再審の高いハードル「新証拠」 証拠開示の規定なし
再審の最初のハードル。
それは「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」の発見だ。
しかし、新証拠はそう簡単には見つからない。
再審の申し立てをしようとする側の手元にないからだ。
これまでの裁判では出ていない捜査の記録や捜索で押収された物など、新証拠が眠っているとすれば、それは捜査機関のもとである。
それらの証拠を開示してもらおうにも、裁判所はなかなか動いてくれない。
なぜか…
それは、再審について定めた「再審法」に、裁判所が証拠の開示を求める根拠がないからだ。
探せる証拠が限られる中、ようやく見つけて再審を求めても、「新証拠」と認められないことも多い。
さらに一度再審が決定しても、検察が不服を申し立てると、高裁など上級の裁判所でこの決定が覆されることもある。
再審を求めても何度も跳ね返されるということがほとんどだ。
「袴田事件※」では、最初の申し立てから33年かかり、ようやく開始決定が出たかと思えば、検察の不服申し立てと裁判所の決定取消により、再び開始決定が出るまでさらに9年の年月が過ぎた。40年以上にわたる死刑執行の恐怖は、袴田さんの精神を蝕んでいった。
(※「袴田事件」…59年前静岡県で一家4人を殺害したとして、袴田巌さんに死刑判決が言い渡され、確定から44年後、再審無罪が確定。袴田さんは34年間拘置所で過ごすことを余儀なくされた。)
最初の再審請求から24年が経つ「日野町事件※」では、服役中の阪原弘さんが無実を訴えたまま病死。遺族が再審を求め、地裁、高裁で開始決定が出るも、検察が不服を申し立て、最高裁の判断を待っている状態だ。
(※「日野町事件」…41年前に滋賀県日野町で、阪原弘さんが酒店経営の女性を殺害して金庫を奪った罪で無期懲役が確定。)

■「時間がかかりすぎる再審」法改正に向け議論
しかし、ここへきて76年間変わらなかった刑事訴訟法の再審規定を改正しようと、超党派の議員連盟(5月28日時点で388人加盟)が改正案を作り、6月18日に立憲民主党などの野党が国会に提出。
審議は次回国会へと持ち越されたが、確実に歩みを進めている。
また、ことし4月からは、法務大臣の諮問機関である法制審議会でも議論が始まった。
法律が変われば、再審までの期間は早まるのか。そして、神戸質店事件の再審請求には、どんな影響があるのだろうか。
議員連盟と連携して法改正の実現を目指す、日弁連の再審法改正推進室長で、法制審議会の委員も務める鴨志田祐美弁護士に話を聞いた。
■鴨志田弁護士「早期解決のためにも証拠開示を再審請求人の権利に」
鴨志田祐美弁護士:再審を求める人が一番欲している“無罪方向の証拠”は、どこにあるかといったら、捜査機関の人が持っている。これが現実。
鴨志田祐美弁護士:だから本来は、再審請求する前にそれらの証拠が開示されなければいけないけれど、少なくとも頑張って、その“新証拠”をこさえて再審請求したときには、それをきっかけとして、さらなる証拠の開示が再審請求人の権利として認められなければ、全く釣り合わない。
鴨志田祐美弁護士:ところがこれを再審(請求後に裁判所の命令)で出させるルールがないから、裁判官のやる気次第のようになってしまっている。人によって左右されるような制度であってはならないはずなのに…

現行の再審制度に怒りを露わにするのは、「大崎事件※」の原口アヤ子さん(98歳)の再審弁護人として、自身も何度も煮え湯を飲まされた経験があるからだ。
原口さんは無実を訴え、最初の再審を申し立ててから30年が経つ。
地裁や高裁で再審開始が決定されても、検察官の不服申し立て(抗告)を受け、最高裁で決定が取り消されるなどして、未だ再審の扉は開かないままだ。
弁護団は、ことし98歳となった原口さんの第5次再審請求の準備を急いでいる。
※1979年、鹿児島県大崎町で男性の遺体が見つかり男性の義理の姉にあたる原口アヤ子さんと元夫ら4人が殺人罪や死体遺棄罪で服役。

「神戸質店事件」の緒方受刑者は、現在66歳。
鴨志田弁護士は、1日も早い再審法の改正が、これから再審請求を申し立てる事件の早期解決につながると話す。

鴨志田祐美弁護士:目撃供述自体の信用性を撲殺させるような、高度な心理学の知見によって新証拠を作っていると思うが、心理学の知見というものは、なかなか裁判所には受け入れられにくい。
鴨志田祐美弁護士:さらなる証拠開示がされて、『福井女子中学生事件※』のように、目撃供述の根本を覆すような客観証拠を(捜査機関が)隠していたというような事態になれば、再審に近づいてくると思うので、再審法改正が新しい再審事件のスピーディな解決を後押したという事例になってほしい。
※1986年、福井市で当時中学3年の女子生徒が殺害された事件で有罪判決が確定し、7年間服役した前川彰司さんの再審は、二度目の請求で2024年10月に開始決定。2025年7月に再審判決言い渡し予定。

■再審法改正は今が“正念場”危機意識強まる
鴨志田祐美弁護士:今までは、警察はきちんとやっている。検察は正しい。裁判所は間違わないと、国民は漠然とした信頼を寄せていた。それが、袴田さんの衝撃、『プレサンス事件』や『大河原化工機事件』のように、今も繰り返される冤罪事件を多くの人が知ったことで、法改正の世論が盛り上がってきた。だからこそ、今を逃したらまた何十年も先になってしまうかもしれないという危機意識も日ごとに強くなっている。
鴨志田祐美弁護士:間違い(冤罪)があったときに、迅速に救っていく刑事司法に変わっていかなければ、この問題は未来永劫繰り返されることになる。今、それを変えるかどうかの正念場を迎えていると思う。
与党や維新が改正案の共同提出を見送ったことで、議員立法による法案成立のための国会審議が先送りとなった今、法務大臣の諮問機関である法制審での議論の行方が注目される。
幹部の多数を検察官が占める法務省は、これまで「法の安定性」などを盾に再審法改正には消極的な立場だった。
再審は、「無実を訴える人の人権保障のため」に存在する制度だ。
その制度によって、迅速に冤罪被害者の救済ができるよう法律が変わることを期待したい。