古い火口湖に貯まった雪が溶けて出来るドラゴンアイ。

盛岡駅発 八幡平頂上行きのバス
盛岡駅発 八幡平頂上行きのバス
この記事の画像(7枚)

岩手の八幡平と、岐阜の御嶽山で5月の下旬から6月の上旬の短い期間に発生する。2つのドラゴンアイを見るために現地を訪れてみた。

観光資源としてのドラゴンアイ

岩手・八幡平のドラゴンアイには、盛岡駅発のバスに乗って2時間ほどで行くことが出来る。
バスの車体に書かれた広告はドラゴンアイがメインだ。バスは満席だったが、高齢者の姿も目立つ。

八幡平頂上のレストハウスより
八幡平頂上のレストハウスより

途中でトイレ休憩を挟んで、八幡平の頂上に近い水洗トイレ完備のレストハウスに着いた。雪が残る道を歩くため、ここで長靴を貸し出している。

徒歩15分で「鏡沼」に到着

石畳の道を進むと途中から雪道になる。「上りはつま先を突き刺すように、下りはかかとを突き刺すように歩いて下さい」と同行している登山ガイドが、説明してくれた。

八幡平のドラゴンアイ 安全の為に周囲にロープ
八幡平のドラゴンアイ 安全の為に周囲にロープ

トレッキングポールを持参した高齢者もいた。すれ違った高齢女性がうつ伏せに転倒したが、大事には至らなかった。15分程歩いてドラゴンアイが出現した鏡沼に着いた。

「落ちたら助けに行けません!」

タイミングが少し早かったのか、完全な目の形にはなっていなかった。雪解けとともに中心部の雪が瞳のように盛り上がり、周囲が解けて目のような形になる。

ドラゴンアイの瞳に亀裂
ドラゴンアイの瞳に亀裂

10年ほど前に台湾から来た旅行者がネットで「ドラゴンアイ」と発信し、一躍注目を集めるようになったという。

転落事故防止の為に周囲にはロープが張られていた。「落ちたら助けに行けません」とガイドが強調していた。

瞳の部分には亀裂が

「あと1週間くらいでしょうか。雪の真ん中が解けて水たまりにようになると完成。今年は、瞳の部分に亀裂が入っているのが残念」とも。
真上から見るともっと良いかも知れないが、ドローンによる撮影には届け出が必要ということだ。

名残惜しい鏡沼をあとにし、八幡平の頂上まで雪の中を歩いた。名前の通り平らで歩きやすかったが、「霧や吹雪で視界が悪いと方向がわからなくなり、遭難するリスクがある」とのことだった。頂上には周囲を見渡せる展望台があったが、弁当を食べる登山客に占拠されていてガイドも嘆いていた。気軽に来られるが故の悩みだろうか。

他の沼を見て歩き、1時間ほどでレストハウスに戻って来た。食堂や土産物屋も併設されて、「八幡平ドラゴンアイ」という登録商標入りのお菓子が並んでいた。
広い駐車場には他県のナンバーの自家用車も沢山並んでいた。高齢者でも気軽に来られる場所だ。

もう一つのドラゴンアイも見たくなった

岐阜・御嶽山のドラゴンアイだ。地元の観光協会のホームページによると、5月27日に三ノ池で出現が確認されたとのこと。

岐阜・御嶽山
岐阜・御嶽山

ただ、こちらは下呂駅から車で1時間半ほどかかる濁河温泉の登山口から徒歩で4時間、険しい山を登らなければならない。

御嶽山の登山道には雪が残る
御嶽山の登山道には雪が残る

御嶽山は噴火警戒レベル1の活火山で、登山届の提出が義務づけられている。そんなこともあってか岩手・八幡平ほど積極的な広告は見られなかった。前日に濁河温泉に泊まり早朝出発することにした。

登山口近くにあふれる路上駐車・最後のトイレに長蛇の列

夜明け前から続々と車が到着する音が聞こえていたが、出発すると宿の駐車スペースに無断で停めている車や、路上駐車禁止と書かれているにもかかわらず路肩に停めている車が目に付いた。訪問者の急増に駐車場の数が追いついていない。

登山口横の環境配慮型のトイレの前には長蛇の列が出来ていた。ここが入山前に最後のトイレとなるからだろう。

岩手・八幡平とは立地環境や条件が違うが、訪問者にここまで負担を強いるのはいかがなものかと考えさせられた。特定のシーズンだけのもののために、地元の負担や環境負荷を増やすことにつながる駐車場の拡張は難しいかもしれない。例えば麓の町に駐車場を作って、パークアンドライドを行う手もあるのではないか。

あいにくの雨と霧に阻まれ、御嶽山のドラゴンアイは見ることが出来なかった。ドラゴンアイは、なぜここまで人を惹き付けるのか。来年の同じ頃、もう一度チャレンジしたい。
【取材・執筆=フジテレビ 森安豊一】

森安豊一
森安豊一

論より証拠。われわれの仕事は、事実の積み上げであり、事実に対して謙虚でなければならない。現場を訪れ、当事者の話を聞く。叶わなければ、現場の近くまで行き、関係者の話を聞く。映像は何にもまして説得力を持つ証拠のひとつだ。ただ、そこに現れているものが、全てでないことも覚えておかなければならない。
1965年福岡県生まれ。
福岡県立東筑高校卒、慶應義塾大学文学部人間関係学科社会学専攻卒。
警察庁担当、ソウル支局特派員、警視庁キャップ、社会部デスク、外信部デスク、FNN推進部デスク、FNNプロデュース部長を経て報道センター室長。
特派員時代は、アフガニスタンや北朝鮮からも報告。