プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
巨人・西武で19年にわたり中継ぎ・抑えとして活躍した鹿取義隆氏。サイドスローから投げ込むキレの良いストレートと多彩な変化球を武器に755試合に登板し91勝131セーブ。最優秀救援投手1回。毎年フル回転でチームを支え“鹿取大明神”と呼ばれたタフガイに徳光和夫が切り込んだ。
高知商業「総監督のひと言」でピッチャーに
徳光:
鹿取さんは高知県香美市(かみし)のご出身。
鹿取:
今は香美市ですけど、子供時代は香美郡でした。土佐山田町っていうところで。
徳光:
江本(孟紀)さんと同じですよね。ということは、そちらは野球が盛んなところなんですね。
鹿取:
いや、そうでもないですね。僕らの頃はそんなに野球をやってなかったですね。
徳光:
当然、テレビ中継はやってたんですよね。
鹿取:
巨人戦しかやってない。田舎ですから。
徳光:
ということは巨人ファンだったわけですか。

鹿取:
大好きでしたね。それしかないですから。
堀内(恒夫)さんのボールの捕り方とか、よくマネしてましたよ。キャッチャーがボールを返すときに、グローブを立てるんじゃなくて、グローブの先をキャッチャーのほうに向けて捕る。でも、マネしても捕れないんですよ。どうやって捕ってるんだろうかって(笑)。
徳光:
そういうのが印象に残ったわけだ。野球との出会いはいつ頃なんですか。
鹿取:
僕は中学校からですね。
徳光:
ピッチャーをやられてたんですか。
鹿取:
いや、やってないです。1年がセカンド、2年がショート。3年でキャッチャーでした。
徳光:
キャッチャーだったんですか。
鹿取:
先輩が抜けて、キャッチャーをやる人が誰もいなくなったんで。
徳光:
高校は高知商業。高校に入ってからピッチャーですか。

鹿取:
高校2年からです。高校にはキャッチャーで入ったんです。
市営球場の脇、プールの下にピッチングする場所があって、そこでブルペンキャッチャーとして受けてたんです。監督が「代われ」って言ったんで、隣のキャッチャーと変わったんですよ。そしたら、「バカヤロー! 代われって言ったら、ピッチャーとキャッチャーが代わるんだ」って怒られた。「代われ」って言われたら、キャッチャーとしては普通は横と代わるんだと思いますよね。
徳光:
そりゃそうです。
鹿取:
「こっちに来い」って言われて、そこで初めてキャッチャーミットをはめたまま投げたんです。そしたら、「今日からピッチャーだ」と。
徳光:
どうして監督はそういう決断をしたんですかね。
鹿取:
僕の1年生のときの3年生に、益永(博之)さんっていうエースピッチャーがいたんですけど、投げ方がほとんど同じでサイドハンド。その二番煎じみたいな感じだったと思うんです。
徳光:
キャッチャーでしょ。キャッチャーなのにサイドハンドで投げてたんですか。
鹿取:
上からのつもりだったんですけど……、でも、横くらいだったような気も…。
よく考えてみると中学校の頃、ピッチャーにボールを返すとき、よく左バッターの頭へポーンと当たってたような気がします(笑)。それで、「あ、ごめんなさい」って謝った記憶はありますね。
徳光:
そうですか(笑)。
いきなりピッチャーになって最初、戸惑いとかはなかったんですか。
鹿取:
戸惑いはありましたけど、中学校の頃って、キャッチャーをやってても構えたところにボールが来ないわけですよ。「ピッチャーってその程度でいいのかな」みたいな感じはありましたね。サインを出しても絶対に来ないピッチャーもいましたし、ゾーンに投げれば何とかなるんじゃないかみたいな。キャッチャーをやってて、「低めに投げればゴロしかいかない、長打はない」って感じてましたから。
徳光:
キャッチャーをやってたことが、投手になって役に立ってるわけだ。
鹿取:
僕の中では役に立ってますね。「低めに来れば抑えられる、高めに来れば打たれる」みたいなことは感じてたんで。それは逆にピッチャーになったときに、その辺に投げとけば結果が出るんじゃないかっていうのはありました。
甲子園で達川氏に打たれた歴史的ホームラン
鹿取氏が高校2年だった1973年夏、高知商業は甲子園に出場し、ベスト8まで勝ち進んだ。
徳光:
高2のときの甲子園では活躍されたんですか

鹿取:
僕は活躍してないです。優勝した広島商業と準々決勝で当たったんですけど、高知商業のエースだった左ピッチャーが、前の試合からちょっと足がつってたんですね。それで、すぐに2番手で上がったんですけど、達川(光男)さんにホームランを打たれてるんです。
徳光:
甲子園で、あの方、ホームラン打ったんですか(笑)。
鹿取:
打ちますよ。エンドランか何かで、高めのボールを打って…。記録上では木のバットが規定のときの最後のホームランが達川さんです。翌年から金属製バットに代わるんですよ。
徳光:
ほう、そうですか。
鹿取:
アルミに変わっても木のバットを使ってOKだったんですけど、木じゃなきゃダメなときの最後のホームランが達川さんって聞いたんですけどね。(編集部注:金属製バットが解禁される前最後の大会となった1974年春の甲子園でランニングホームランが記録されている。フェンスを越えたのは73年夏の達川氏が最後)
徳光:
3年のときはどうだったんですか。
鹿取:
3年は県大会で高知高校に負けてますね。

徳光:
そうですか。
同じ時期に関東に江川卓って投手がいたわけですけど。
鹿取:
いました。江川さんのほうが1年先輩です。若潮国体(1973年・千葉)で見たんですけど、「なんて体だ」と思いました。「こんな人、見たことないよ」っていうくらい、とんでもない体をしてました。ボールもすごかったんです。ボールの質が違う。特Aです。
徳光:
こういう人がプロに行くんだろうなと…。
鹿取:
思いましたね。
徳光:
ご自身はプロの意識はなかったですか。

鹿取:
全くないですね。あのボールを見た瞬間に、無理だと思いますよ。そりゃ無理ですね。行こうとも思わなかったし、行けるとも思ってないですから、全くそれは思ってなかったです。
徳光:
高知商業時代にプロから誘いはなかったんですか。
鹿取:
後で聞いたら、「あった」とは言ってましたけど。
徳光:
やっぱりあるんじゃないですか。
鹿取:
いや、本当かどうか分からないですよ。「あったような気がするけどな」って部長に言われたんですけど、俺のことじゃないんじゃないかと思って(笑)。
明治・島岡監督から恐怖指令「1000球投げこめ」
徳光:
明治大学はお進みになったのはどうしてですか。
鹿取:
先輩が3人くらい行ってたんです。1年のときの高知商業の3年生が行ってて、先輩たちから話を聞いて、「いい経験になるんじゃないかな」と。いい経験になりましたね(笑)。
徳光:
いい経験になりましたか。
「プロ野球レジェン堂」に出演した明治大学OBは、口を揃えて島岡吉郎監督(御大)の恐怖の指導について語っている。高田繁氏は、試合に負けたあと、御大が日本刀を持ってやってきたのでみんなで逃げた話を披露。広澤克実氏は、御大が短刀を持ち出し「全員、切腹しろ」と言ったので、平田勝男キャプテンが「明日は勝つんで命だけは助けてください」と謝った話などを語ってくれた。

鹿取:
それはちょっと盛り過ぎてるかも。僕らの代は日本刀はなかったです。僕らのときはノックバットです。普通にカーンって。
徳光:
それもまたすごいですね。
鹿取:
いや、木ですから。
徳光:
でも殴るんですか。

鹿取:
いや、殴るっていうか、たまたま頭に落ちた感じですかね。「あ、当たった」っていうような。僕じゃないです、座ってて、僕の横の選手とかにカツーン。「うわ、まじか!」みたいな。
徳光:
鹿取さんはやられたことがなかったんですか。
鹿取:
僕は木ではなく“愛のムチ”。
徳光:
手のひら。
鹿取:
いや“愛のムチ”です(笑)。
徳光:
明治大学野球部に脈々と続いてる伝統ってあるんですか。
鹿取:
監督のサインじゃないですかね。
徳光:
サインですか。
鹿取:
僕らの頃も高田さんの頃から全く変わってないですから。多分、広澤君のときも同じサインを使ってますよ。
徳光:
ということは他の大学もそのサインが分かるわけですか。

鹿取:
バレてます。それで(バントを)決めなきゃいけない。大変だったんです。失敗して負けると、そのバントの練習とかをやるわけですよ(笑)。
徳光:
“島岡イズム”でピッチャーとして練習させられたってことはないですか。
鹿取:
土日、試合じゃないですか。土曜日に負けると、帰ってから300球投げて、それで翌日投げて勝つみたいな。
徳光:
試合の後に300球ですか。

鹿取:
オープン戦のときに、某大学に初回にノックアウトされたら、監督が怒り狂っちゃいまして、「1000球投げてこい」って言われました。
徳光:
1000球?
鹿取:
1000球です。
徳光:
監督が数えるわけですか。
鹿取:
いや、監督は試合をやってますから。
ブルペンに行って投げました。キャッチャーは3人代わったんですけど。
徳光:
3人も代わって…。
鹿取:
みんなスクワットしなきゃいけない。後輩キャッチャーは、先輩ピッチャーには立って返さなきゃいけないんで、それを300回ずつしなきゃいけない。だから「もう、お前たち、立たなくていいから」って言って、カウンターでずっとカウントして…。
徳光:
ほんとにカウントして1000球も投げたんですか。

鹿取:
投げました。「せっかくだから、投げるから、ちゃんと数えてくれ。ごまかすなよ。もうやる、絶対やるから」って言って。見えますからね、監督から。
徳光:
すると、鹿取さんのその後のガソリンスタンドのような活躍は“明治大学時代の1000球”にあったんですか。
鹿取:
多分、その辺で培われたんじゃないかなと思いますね。
「打倒・早稲田」から「打倒・江川」に
鹿取氏の東京六大学での通算成績は58試合に登板し21勝14敗、防御率1.89だった。3年・4年時には、江川氏らとともに日米大学野球の日本代表に選出された。

徳光:
58試合も登板してるんですね。防御率1.89ってすごいですね。
鹿取:
大体、みんなそんな感じだと思いますよ。
早稲田戦で延長15回か16回で勝ったゲームがあったんですけど、その勝ったあと、ロッカールームに集まったときに、島岡さんが泣かれてて…。「うわぁー、ありがとう」って言われて、僕らももらい泣きしました。その瞬間にやってて良かったなと思いました。あれはほんとに泣いてたと僕は思ってます。
徳光:
やっぱり早稲田に勝つと、つまり早慶に勝つと、御大はそうなるんでしょうね。
鹿取:
はい。でも、僕が3年生になるまでは、法政に負けると怒ってました。
徳光:
えっ、法政。

鹿取:
はい。江川さんがいたんで勝てなかったんです。
徳光:
ああ、なるほど。
鹿取:
今までずっと「打倒・早稲田」とかって書いてたんですけど、「打倒・江川」に変わったんですよ。
徳光:
やっぱり江川投手は大学時代もそんなすごかったんですか。
鹿取:
すごかったです。簡単に言っちゃいけないかも分かんないですけど、ほんとストレートはホップ、急に上がる。それは感じましたね。
徳光:
でも、これだけの成績残すと、ちょっとプロを意識したでしょう。
鹿取:
いや、あんまりしてないですね。
徳光:
プロという選択はご自分の中ではなかったんですか。
鹿取:
江川さんを見てますからね。
徳光:
じゃあ、社会人野球で続けようと思ったわけですか。

鹿取:
はい。日本鋼管に行く予定でした。そこの監督が明治だったんで。
実はプリンスホテルの話もあったんです。僕はもう行けるもんだと思って、何回かプリンスの方とも会いました。石毛(宏典)とか堀場(秀孝)とか中尾(孝義)とか入るんですよ。それがプリンスホテル第1期生だったんですね。そのメンバーでオリンピックに出ようという大きなテーマがあったんです。
あのときは「よし、やろう」という感じでいたんですけど、島岡さんに話したら「ダメだ。そんなふうに教育した覚えはない」って言われて。
徳光:
何でですか。
鹿取:
オーナーが早稲田ですから。
徳光:
そうか。堤義明さんが早稲田だから。
鹿取:
後で、「あっ、そうだったのか」って気付いたんです。当時は監督を明治OBにするっていう話も出たらしいんですけど、とにかく「ダメだ」と。

巨人入団は「ドラフト外」ではなく「ボイコット」
徳光:
でも、結局ジャイアンツにお入りになった。確かドラフト外でしたよね。
鹿取:
いや、あのときは「ドラフト外」って言わないんです。「ボイコット」です。
徳光:
えっ、どういうことですか。
鹿取:
江川さん問題で。
徳光:
ああ、そうか。
鹿取:
選手名鑑を見てもらえれば、「ボイコット」って書いてあると思います。僕も見てショックだったんです。「えっ、ボイコットって書いてある」と思って。

1978年のドラフト会議の前日、巨人が野球協約の盲点をついて江川卓氏と入団契約。残る11球団は猛反発し江川氏の選手登録申請は却下された。巨人はこれを不服としてドラフト会議をボイコット。大紛糾の末、江川氏はいったんドラフトで交渉権を獲得した阪神に入団したあと、巨人にトレードされる形になった。この年、巨人は鹿取氏をはじめ10人の新人選手と契約した。
徳光:
では、鹿取さんはどういう経緯でジャイアンツにお入りになったんですか。
鹿取:
ドラフト前日、スポーツ紙に「鹿取、日本鋼管内定」って出たんですよ。
ドラフトは合宿所の前でテレビで見てました。当然、自分の名前はないわけですから、「じゃ、帰るね」って言って自分のアパートへ帰るわけです。そしたらマネージャーが「親父が呼んでる」って飛んできて、「えっ、何で?」。
徳光:
島岡さんですね。

鹿取:
ええ。そしたら、「今から生田のひろ寿司に行ってこい。巨人のスカウトがいるから会って話してこい。お前はジャイアント(ジャイアンツのこと)に行け」って言われたんです。
徳光:
ええっ。
鹿取:
「えっ、日本鋼管は?」。「いや、いい、いい。あれはいいんだ。俺が言っとくから」。
聞き直しはできないですから、言われた通りに行ったら、沢田(幸夫)さんってスカウト、明治のOBがいて、そこで初めて話をもらったわけですよ。
徳光:
どんな話ですか。
鹿取:
「ドラフトはボイコットになったけど、ドラフト1位の待遇にする。何名かに声は掛けるけど、その中で1番だと思ってるから来てくれ」というような感じですね。
徳光:
へぇ。
【中編に続く】
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/4/8より)
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