能登半島地震で被災したことから浜松市へと移り住んだ栗農家の男性。移住から1年あまりが経った今、新たな夢に向け動き出している。

地震を機に能登から遠く離れた浜松へ

2024年元日の能登半島地震を機に静岡県浜松市へと移り住んだ松尾和広さん。

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元々は糖度の高い焼き栗が評判の栗農家だったが、震災で自宅兼作業場が全壊し、建て直しには多額の費用を要することから能登の地での再建を断念したからだ。

松尾さんは「自分の栗になどにはこだわらず、家族全員が安心して暮らせる環境を探す方が大事で、これは仕方ないと思った」と振り返る。

プロジェクトで発言する松尾さん
プロジェクトで発言する松尾さん

移住先に浜松を選んだのは以前から菓子メーカー・春華堂と親交があったことが理由で、現在は遠州地域で採れる和栗のブランド化を目指すプロジェクトに参画している。

活動が充実する一方で複雑な思いも

浜松に来て1年あまり。

松尾さんは遠州地域にはどのような栗が適していて、どのように栽培していけばよいのかというコンサルティングを任されている。

自宅で資料作成する松尾さん
自宅で資料作成する松尾さん

自宅でも資料作りに没頭していて、「調べたいことや勉強したいことがいくらでもある。気になったらどんどん調べて突き詰めたいタイプなので」と笑う。

また、4月には春華堂の紹介もあって大阪・関西万博で能登の焼き栗を販売。

自身の活動も充実し、家族も浜松での生活に慣れてきた一方で、「自分たちは能登の人たちと比べてすっかり便利な生活が出来ている。望んだこととはいえ能登の人を思うと不憫なところはある」と複雑な思いも抱えていて、だからこそ「(能登を)出たからといって忘れたくない、他人事にしたくないなという思いで何とか自分たちにできることは協力したい」と口にする。

能登の焼き栗を販売する松尾さん(大阪・関西万博)
能登の焼き栗を販売する松尾さん(大阪・関西万博)

そんな思いを受け、遠州和栗プロジェクトでは新たな加工品の開発に向け能登の栗を買い取っていて、松尾さんも「生産者の生活がしっかりと成り立つよう、(プロジェクトが)できるだけ高い値段で買おうという方針でやってくれているので、栗の生産者として食べていけるよう買い支えは続けたい」と話す。

第2の人生で見つけた夢

松尾さんがいま力を入れているのが耕作放棄地を活用して、モデルとなる農地を作ることで、この日も「見た感じ全部しっかりと苗から葉が出ているので初期生育はいい」と目を輝かせ、「人間がやるのは(栗の木に)職場をつくってあげること。この木々が50年・60年と元気よく快適に働ける職場をつくるのが人間の仕事」と畑と向き合っていた。

クラウドファンディングのサイト
クラウドファンディングのサイト

とはいえ、作業に必要な農機具やトラクターを震災で失ってしまったためクラウドファンディングを実施。

自慢の焼き栗などを返礼品としたところ、わずか1カ月で目標を大きく上回る550万円あまりの支援が寄せられた。

松尾さんは目標金額として設定した400万円はハードルが高いと思っていたそうで、だからこそ「ものすごくうれしい。本当に、真剣にみなさんの応援に応えたいと思い、すごくやる気が出てきた」と前を向く。

松尾和広さん
松尾和広さん

いま目指しているのは子や孫の世代まで和栗を残していくことで、「栽培のモデルなどいろいろなものを正しい知識で残したいと思っていて、みなさんの財産になればという思いでやりがいを持って勉強している。まずは遠州からスタートして、和栗が能登と全国に誇れる農産品として継承できる存在にしたい」と目標を語った。

震災によって思いがけず始まった第2の人生。

農地化を進める土地を行く松尾さん
農地化を進める土地を行く松尾さん

移住先で見つけた新たな夢を形にするべく、松尾さんはこの先も妥協することなく突き進む覚悟でいる。

(テレビ静岡)

テレビ静岡
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