――事件をきっかけに変わったことはありますでしょうか?
「やはりオウムを絶対やってやるんだという気持ちを強くしたし、まずどんな捜査でも増員を図ったね。
後は地方の捜査をやるにしても警視庁に行かせたこと」

山梨・旧上九一色村の教団施設への家宅捜索
山梨・旧上九一色村の教団施設への家宅捜索

「一連のオウムの犯行というのは、結局管轄でないとガサもできないという警察の組織的な弱みを突かれたんだと思う。上九は山梨県警、富士宮なら静岡県警でしょう。人員的に本格的なガサなんて出来なかった。
警視庁は人員もノウハウもある。仮谷さんの事件があるまで警視庁には大義名分がないので動くことが出来なかった。そういう事情で手を打てないのはおかしいとなって全部変えた」

公務に復帰した国松長官(当時)(1995年6月)
公務に復帰した国松長官(当時)(1995年6月)

――あらためてですが事件の被害者になられてどんなことを思われたものでしょうか?
「事件の被害者になって思ったことねぇ。正直、自分が被害者という意識はないんだよね。
警察庁長官として自分が撃たれて恥ずかしいという気持ちだね。あとは心臓が3回も止まったってことだから、生きながらえたというか生かされたという気持ちがあるね。でも死んでしまっていたらもっと大変なことになっていただろう。本当に生きていて良かったと思っている。
同時に恥ずかしいという気持ちを持ち続けています」

国松元長官は、これまでの15年の捜査について、やはりXのハンドリングを誤ったという考えを持っていた。警視庁がもう少し警察庁、検察庁と連携を密に出来ていれば、そういう思いが時効に際して去来していたのである。

【秘録】警察庁長官銃撃事件48に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】

1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。

上法玄
上法玄

フジテレビ解説委員。
ワシントン特派員、警視庁キャップを歴任。警視庁、警察庁など警察を通算14年担当。その他、宮内庁、厚生労働省、政治部デスク、防衛省を担当し、皇室、新型インフルエンザ感染拡大や医療問題、東日本大震災、安全保障問題を取材。 2011年から2015年までワシントン特派員。米大統領選、議会、国務省、国防総省を取材。