益城町で進められている県道の4車線化事業によって、立ち退きを余儀なくされた1軒の商店がある。店は仮設店舗を経て、別の場所で再建を果たした。地震から9年。その店の人気商品『益城プリン』の味を地震前から支えてきた『相棒』との別れが待っていた。
熊本地震で被災した『岡本商店』
益城町を東西に走る県道熊本高森線、熊本地震からの創造的復興のシンボルとして、4車線の道路に広い歩道が整備されている。益城町福富のバス停がある場所には、熊本地震の前、ある1軒の商店があった。

明治時代に創業の『岡本商店』は、総菜や駄菓子などが並ぶ店で、看板商品は手づくりの『おやつプリン』。長年、地域に愛されてきた。しかし、9年前の2016年4月の熊本地震で甚大な被害を受けた。

地震から半年の2016年12月、岡本商店の矢野好治さんは店を訪れ「ここにオーブンがあったんですよ。ここに作業台があって、ここで作業しながらオーブンに入れて」と被災前の様子を話してくれた。
赤いオーブンで焼き続けた『益城プリン』
岡本商店は熊本地震の本震で全壊となり、仮設店舗で営業を再開した。前の店から仮設店舗に持っていけたのはプリンを焼いていた赤いオーブンだけ。

『おやつプリン』は『益城プリン』と名を変えて、矢野さんは各地のイベントを飛び回り、赤いオーブンの『相棒』とプリンを焼き続けた。

2019年12月に更地となった岡本商店跡地で開いたイベントには、多くの人が集まり、矢野さんは「(2日間で)900個売れました。うれしい限りです。地域に愛された店だったと感じた」と話していたが、『岡本商店』があった場所は、地震からの創造的復興の一環として、熊本県が県道を4車線化することになった。

移転を余儀なくされた矢野さん。悩み抜いた末に、同じ益城町の木山に店を構えることにした。熊本地震から4年半がたっていた。

新しい『岡本商店』の厨房にも、矢野さんの『相棒』の姿があった。新しい店舗では、『相棒』と一緒に新商品開発をしたり、近くでの祭りに合わせてプリンを焼いたりと、忙しい日々を過ごした。
13年間一緒だった『相棒』との別れ
しかし、2024年の末ごろから『相棒』の調子が悪くなり、プリンの出来にむらが出るようになった。使い続けて13年、故障かと業者に見てもらっても、大きな異常は見つからなかった。

矢野さんは「仮設店舗のときに、いろんな人にプリンを買ってもらい、作りこなせないぐらいフル稼働していて、仮設の店舗に泊まって仮眠して焼き続けた時期もあった。いろんな思い出がこのオーブンにありすぎて、正直に言うとずっと使い続けたい思いはある」と話した。

しかし、看板商品の『益城プリン』はいまや店頭や移動販売だけでなく、熊本県内5店舗にも卸す人気商品。急な故障で、扱いがある店に迷惑をかけられないと、矢野さんはオーブンを買い替えることを決めた。

購入予定の新しいオーブンでプリンを作り試食した矢野さんは「おいしいです」と答えたが、その表情はどこか納得がいかない様子だ。牛乳や卵など、材料の分量は何も変えず、オーブンの温度や時間もこれまで通り。

新しいオーブンで出来上がったプリンは、レストランのデザートのような、なめらかな舌触りに仕上がっている。矢野さんは「どうしても赤いオーブンで作ってきて、益城プリンの味をもう一度、見つめ直したときに、ちょっと違うな…」と話し、矢野さんが求めていたのは、相棒と13年間作ってきた懐かしい家庭の『おやつ』の味だった。
『相棒』との味と思い出引き継いで
3月28日、新しいオーブンが店にやってきてからも試行錯誤は続いた。矢野さんは「何回も『こうじゃない』『ああじゃない』と繰り返し、温度や時間、スチームの量を細かく調整して全部、メモして微妙に変えながら1週間、試作した」と話す。

そして4月7日、ようやく矢野さんが納得いく味の『益城プリン』が出来上がった。最後にチェックするのは、これまで『益城プリン』を食べてきた妻・祐子さんと娘・百恵さん。

矢野さんは「新しいオーブンで作った『益城プリン』です。ちょっとドキドキするけど、よかったら味見を。2人の意見が聞きたい」とプリンを手渡すと、2人は「変わらん、おいしい」や「変わらない」と笑顔で返した。矢野さんは「変わらない?大丈夫?よかった…」と胸をなでおろした様子だった。

熊本地震を乗り越え、仮設店舗での苦楽を共にしてきた赤いオーブン。『相棒』との『味』と『思い出』を引き継いで、きょうも『益城プリン』はみんなを笑顔にする味に仕上がっている。

また『相棒』の赤いオーブンの扉やダイヤルは分解されて、店頭に飾られている。
(テレビ熊本)