能登の各地を継続取材して人々の暮らしや心の動きを追うシリーズ企画「ストーリーズ」今回の舞台は能登半島の外浦にある珠洲市大谷地区。公費解体で自宅に別れを告げた親子を見つめた。

母は被災地 息子は2次避難先

「姉ちゃんもちくわあげようか?みんなあげる。ちびたいげぞ」そう言って記者を迎えてくれた地名坊暢子さん、86歳。毎日複数の薬を飲んでいる。「胃たら腸たら大腸たら知らん。ヒザこぶ両方だろ」暢子さんが暮らす珠洲市大谷町は地震と豪雨で二重の被害にあった。自宅は住めなくなったため、車庫で寝泊まりしている。

車庫で暮らす地名坊暢子さん
車庫で暮らす地名坊暢子さん
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2024年7月に訪ねた際、暢子さんは畑仕事に汗を流していた。一時は小松に避難したものの家族の反対を押し切ってふるさとに1人戻ったのだ。「人から見たら畑ガサガサやけど、これが好きなんや」大谷生まれ、大谷育ち。18才で結婚してからも、ずっとこの町で暮らしてきた。

石川県小松市のみなし仮設住宅に住む暢子さんの長男、行雄さん。「ヨーグルトを玉ねぎとまぶして食べる。うまいらしいわ。俺は分からん」暢子さんが不自由しないよう、行雄さんは日曜大工で車庫を改装した。一人暮らしの母親が心配ではないか聞くと「そりゃそうやわいね。小松行くかって何回も言うけど、絶対動かん」

唯一の財産は地震で損壊した家

暢子さんが暮らす車庫。訪ねた知人は「いいがになったがいね。住めるようになって。ただの車庫やったのが、ばあちゃんのために流し台から風呂も今作るのにベッドもおいて」と話し、行雄さんは「後から銭もらわなダメやわ」とおどけた。暢子さんは「ばあちゃん何ももっとらん。ばあちゃんのお金は、あの家」と地震で損壊した家を指差した。

地名坊の家はもともと山あいの集落にあったが、地すべりが起きて住むことができなくなった。今の場所に家を移すため、暢子さんは大阪の紡績工場へ出稼ぎに行き、資金を工面した。「午前5時から夜10時ぶっつづけ。体の心配より金が伸びただけが喜ばしかったわ。私はそんながにして娑婆送っとったね」行雄さんは「家にほとんどおらんかった。いっぱい働いとったし。それよう分かっとるし」と昔の母について語った。

公費解体を間近に控えた家の様子を行雄さんが見に行った。「すごいでしょ。お粗末やわ」戻った行雄さんに暢子さんが「父ちゃん家の中見たんけ?」と声をかけた。「ほうやちょっこり」と行雄さんが答えると、暢子さんは「おれも着物の袖…」と自分も見に行きたいと話したが、行雄さんが「ダメダメ、だんだんかたがっとるわ」とすぐに止めた。

行雄さんは暢子さんが住む家の近くに生活の拠点を作ろうと、長い間中古物件を探している。

「ずっと、去年からずっと。七尾に100万円ってあってんて。俺昼電話して不動産に。『明日聞きに行きます』って。でも夕方電話した人がいきなり買ってんて。がっくりきた。争奪戦。すごいよ早いよー。焦るわいや」

思い出が詰まった家の公費解体

2024年11月、自宅の公費解体が始まった。暢子さんは「この家は眺めがいいって言って、じいちゃんが好きやってんし、行雄はサザエ採ったり魚採ったりするのが好きなんやわ。だけど思い出だけしか残っとらんね」と複雑な思いを漏らした。

2025年2月、雪が積もった大谷町を訪ねた。「寒ないきゃ。入ってもいいけど汚いぞ」と暢子さんがいつものように迎えてくれた。しばらくすると車庫の電話が鳴った。「あ、ご飯中止。じゃあお留守番やな」この日の炊き出しが中止になったという連絡だった。「ねえ。こんな生活っていうがさみしい。さみしいけどこりゃしゃあないわな」そんな中、定期的に訪問に来るのが社会福祉協議会のスタッフだ。「じなばあちゃーん。こんにちは。きょうはいい顔しとる。きのうちょっとしょぼんとしとったから」

暢子さんが「畑行く時でもないし。ぼっさとしとるわ」と答えると、スタッフは「じゃあばあちゃん、また顔見に来るわ」と話した。暢子さんは「またじゃない、いつもいらっしや!」と笑っみせた。暢子さんはこの場所で86回目の春が来るのを待つ。

(石川テレビ)

石川テレビ
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