移民に選ばれたくない国だったアメリカ
この話をすると最近の移民の皆さんは一様に「信じられない!」の表情となります。
私がアメリカに移住した1998年当時の移民には「貧しい、英語が話せない、自分達のやりたくない仕事をする低賃金労働者、アメリカの価値を脅かし治安を乱す」などのイメージがありました。
だから娘を連れて行った公園ではボランティアの方から貧困層に配るランチを手渡され、配達のおじさんには「家の人はどこ?」と玄関を開けた途端にハウスキーパーと間違われ、「どのカタログを使った?」としつこく聞かれ一体なんのことかと思えばメールオーダーワイフという偽装結婚まがいのカタログで「奥さん」になり移民したと思われたり。両親と一緒に乗った観光バスでは運転手が急停車して「ここはアメリカだ!英語で話せ!」と怒鳴られたり。
当時私のような話しは珍しくなかったのです。何しろ私が移住した3年前の1995年の調査でアメリカ国民の62%が移民の数を減らせと言っているくらいですから。アメリカは移民に選ばれたくない国だったのです。
選ばれたくない国から選ばれたい国へ
この記事の画像(7枚)それが今では国民の75%が「移民はアメリカのためになる・国を強くする」と答えています。合法な移民に対してはその割合は84%にまで上り、 「移民の数は減らすべきだ」という人は29%に減りました。
この20数年でこれだけメンタリティーが変わるとは、一体何があったのでしょうか?
それには二つのことがあるようです。一つは移民の大活躍という目に見える外側の変化です。2013年現在でフォーチュン500に載る会社の40%は移民、もしくは移民の子供が興した会社で、スタートアップも含め移民が始めた会社は人々の生活を便利にし生産性を上げ、ものすごい数の雇用と富を生み出しているということ。またアメリカ人の方が移民より2倍も多く犯罪者として刑務所に入っているという事実もあり、移民が治安を乱すという通念も変わりつつあります。
もう一つは内なる変化。それはアメリカ人が移民に対する心の壁を取り去る努力をしたということ。一移民として言わせてもらえばこれが移民と国民が共生し、移民の心を捉えアメリカが発展し続けている鍵だと思っています。
選ばれないと困るアメリカの選択
アメリカ人は成功に貪欲な国民です。負けるのは国の衰退と自らの生活の劣化を意味するからそれはありえないこと。国が発展し続け生活の保障がされることは一番大切なことなのです。そのために移民が貢献してくれるのなら責任も持たせるし援助もする。「部外者」でも「お客様」でもなく仲間として受け入れる。そうして一緒に国を発展させる道を探す。一緒にやっていくためには偏見や思い込みは邪魔。だったら崩せばいい。人道的なこともあるでしょうが、私はそれがアメリカ人の本音だと思っています。
だからアメリカ人はグローバルな視点と多様性で国の発展とイノベーションに大いに貢献してくれる移民に選び続けられるために、自分の偏見や思い込みに挑戦し自分なりに解決または妥協し、少しずつアメリカを移民にとって「住みやすい国」にしたのです。
選ばれるために有効な二つの武器
「住みやすい国」にするための外国人労働者枠拡大や積極的留学生の受け入れなどは政府がやってくれますが、移民が住みやすい国を作るメンタリティーは国民一人一人の仕事です。そのためにアメリカ人が使った二つの武器は好奇心と共感力です。
難しい私の名前を一生懸命覚え、日本語で「おはよう」と言ってくれたり、私の下手だった英語を辛抱強く聞いてくれたり、「大変じゃない?」と声をかけてくれ、異質な日本の調味料の匂いが外まで流れ出しても「臭いからやめて」の代わりに「何作っているの?」と興味を示し、日本のお祭りを紹介するイベントでは「日本人が集まってなんかやってる」ではなく「それって何?」と参加してくれ、華道をやっていた私をフラワーアレンジメントの会に誘ってくれたりと、多くの人が共感力と好奇心で私をチームの一員として受け入れる努力をしてくれました。
そんな人が年々増えていくに従い私も「日本ではこうなっている」を緩めアメリカのおおらかさに適応して行きました。移民を受け入れ発展につなげるにはこの両者の歩み寄りが必要ですが、先手を取ることができるのは受け入れる側です。
住みやすい「心の環境」
一緒に働く外国人、近所に住む留学生に対する見方と接し方をちょっと変えてみる。先手を取り「知りたい」「思いやる」を実行し移民が住みやすい「心の環境」を作る。それが衰退ではなく発展を求め、これからますます熾烈になる移民獲得に勝ち「選ばれる国ニッポン」になる鍵です。
【執筆:ボーク重子】
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