2025年がスタートして半月あまり。新年の政界では「巳年」「大連立」「ダブル選挙」の3つのキーワードが話題となった。石破茂首相をはじめ与党、そして対する野党の様々な思惑が交錯して語られたこれらの言葉は、今年2025年の政局を占う鍵となりそうだ。
新年会で小沢一郎氏「責任自覚を」まとまらない野党を厳しく批判
「今年は乙巳の年といって、60年に一度の大変革の年だそうだ。大いなる希望を持っている。自らの責任を自覚し、国民の期待する姿を実現するよう頑張りたい」
元日に今年の干支が「乙巳」であることに言及し、こう宣言したのは立憲民主党の小沢一郎衆院議員だ。小沢氏の自宅に国会議員らが集まって行われる毎年恒例の新年会での発言だ。筆者は2007年夏から旧民主党が政権交代を果たした2009年頃まで小沢氏の担当記者を務め、新年会を取材したことがあるが、自民党の派閥さながらの雰囲気を感じたことを思い起こす。
今年の新年会で、小沢氏は自民・公明の与党が過半数を割った衆院選を振り返り、「現状を変えることを嫌う日本人が、意を決して野党に投票してくれたのに、野党の政権を作れなかった。この責任は非常に大きい」と強調した。発言の背景には、衆院選後の11月の特別国会で行われた首相指名選挙の悔恨がある。
参院は1回目の投票で石破氏を選出したが、与党が過半数割れした衆院は1回目の投票で誰も過半数に達せず、石破氏と立憲の野田佳彦代表による30年ぶりの決選投票にもつれ込んだ。しかし、結果は石破氏221票、野田氏160票、無効84票。野田氏は他の野党をまとめきれず、決選投票でも票数が過半数に届かなかった石破氏が首相に再指名される結果に終わった。1993年の衆院選で過半数を得る党がなかった状況で、8党派による細川連立政権を実現させた小沢氏としては、忸怩たる思いを吐露した形だ。そして、野党の現状に対する小沢氏の憤りは続いた。
「戦後長く続いた自社(自民党・社会党)体制の中の野党の姿を思い出す。自民党に何か自分たちが要求をして、受け入れられると勝ち取ったと喜んでいたが、自民党があめ玉をくれたにすぎない」
名指しは避けたものの、「年収103万円の壁」の引き上げをめぐり、与党と税制協議を続ける野党の国民民主党を念頭に、「税の全面的な改正をしない限り、本当に手取りが増えるという状況にはならない」と切り捨てた。その上で、「野党の諸君がしっかりと国民にどういう使命を託されたのか、どういう責任を負ったのかということを自覚してほしい」と呼びかけたのである。衆参で違うが、過去にも選挙を経て自公政権が少数与党に追い込まれた状況はあった。
2007年にも「大連立」めぐる動き 小沢氏側近「10年後20年後にわかる」
「福田首相から連立の話を持ちかけられた。その仲介役みたいなことをしてくれたのが渡辺さんとその知り合いの方だった」
この発言は小沢氏が2024年12月19日、読売新聞グループ本社代表取締役主筆を務めた渡辺恒雄氏が亡くなった際に、記者団の取材に答えたものだ。2007年当時、民主党代表を務めていた小沢氏が、自民党総裁だった福田康夫首相と連立政権樹立に向けた協議を行った際に、仲介役を務めたのが渡辺氏だった。当時は参院で民主党など野党が多数を占める「ねじれ国会」で、福田首相は政権運営に行き詰まっていた。そうした状況下で、自民党との大連立に前向きだった小沢氏は党内に諮ったものの、反対論が噴出し、断念したのである。
「今でもあの時、大連立をやっていればもう少し立憲民主党もきちんと政党らしい政党に成長できたのではないか。その意味では残念だ」
小沢氏は渡辺氏を追悼する中でこう悔しさをにじませた上で、「連立した方が民主党にとっても、民主党の政治家にとっても良い勉強になるし、政権を狙うにもこの方が早道だと判断したので乗ろうとした。党内はみな反対だった」と当時を振り返った。
当時、取材の中で、大連立構想を最初に聞いた時には筆者も驚いたが、もし実現していればその後の民主党政権はどうなっていたか、今でも考える時がある。小沢氏に近い関係者が、「小沢氏の考えが正しかったかどうかは10年後20年後にわかる」と悔しさをかみしめていた様子を思い起こす。その大連立という言葉が18年後の2025年元日に再びクローズアップされることになった。
石破首相が大連立「選択肢としてある」 一方、野党各党は可能性を否定
元日放送のラジオ番組の中で、石破首相は大連立について、「選択肢としてあるだろう」と言及。これに対し、その3日後の4日、伊勢神宮をそれぞれ参拝した野党の代表らは年頭の記者会見で可能性を否定した。立憲の野田代表は、「少数与党に追い込まれた苦渋から生まれてきている発言ではないか」と指摘した上で、否定の理由をこう説明した。
「大連立は大きな災害やパンデミックが発生し、国を挙げて全力で取り組まなければいけない状況下では、選択肢としては否定しないが、今の平時においては、むしろ熟議と公開のもとで、国益を考えて一致できるものは一致させることに徹することが王道ではないか。それこそがむしろ民主主義に資するのではないか」
そして、野田氏は「むしろ政権交代をさせるために野党の力を結集することに主眼を置いて取り組んでいきたい」と強調した。
また、日本維新の会の前原誠司共同代表は「政策実現のために与党と話し合いは行うが、立ち位置は明確に野党だ」と述べたほか、国民民主党の古川元久代表代行も「連立するつもりは全くない」との考えを表明したのである。
「大連立」言及から5日後の6日、石破首相は年頭の記者会見で、「今の時点で連立を考えているわけではない」と否定。「私はそのようなことを一回も言ったことがない。そういう可能性はあるということを申し上げた」と述べ、沈静化を図った。
こうした状況について、かつて野党のトップを務めた関係者は、「大連立を野党に持ちかけるのは野党間、党内分裂を誘導するものだ」との見方を示した上で、「今の自民党にはその分裂の機運を見つけ、亀裂を大きくし、現実に分裂させるための工作ができる議員がなかなか見当たらない」と語る。
また、立憲の幹部は、「自民党は仕掛けてくるかもしれないが、大連立に応じる考えはない。夏の参院選を経て政権交代を目指す」と意気込む。
石破首相が否定しなかった衆参ダブル選挙の可能性 各党の本音は
そして、石破首相がその可能性を問われて否定しなかったのが、衆参ダブル選挙だ。石破首相は年末のテレビ番組で、衆参ダブル選挙の可能性を問われ、「これはある。同時にやってはいけないという決まりはない」と述べた。
衆院解散は首相の専権事項だが、衆院で野党が多数となっている今、野党側も内閣不信任決議案の可決によって衆院解散を誘発することができる。こうした状況も踏まえ、首相の発言は政界に大きな波紋を広げた。
立憲の野田代表は、6日のBSフジ「プライムニュース」の中で、衆参ダブル選挙の可能性について問われ、「こればかりは分からない。解散権は最後やはり自民党になる」と述べた上で、内閣不信任案提出のタイミングに関し、「極めて戦略的な話だ。そう簡単ではない。きょうはそこで寸止めさせていただければと思う」と本音をあえて伏せた。
維新の前原共同代表は会見で、「(石破首相は)可能性としておっしゃったのだと思う。支持率が上がらなければ同日選挙はより自公の議席を減らすことになる。したがって同日選挙がある場合は自公の支持率が上がるということは前提だろうと思うし、その可能性というのは当然排除されないと考えている」と述べ、衆参ダブル選挙も視野に入れて候補者選定を進める必要性を強調した。
一方、国民民主では、古川代表代行が「衆院は常に常在戦場だから、もしそういう状況になればきちんと戦えるように準備を進めていきたい」と述べ、榛葉賀津也幹事長は「石破首相は若干最近言葉遊びが激しい」と首相の発言をチクリと刺した。その上で、「公明党さんからしたら最も大切な都議選と三連チャンの選挙になる。本当にそういう覚悟は首相にあるのか」と実現性に疑問を呈した。
石破首相「どちらの『だ』の字も言っていない」 「乙巳」の年に注目の参院選
石破首相は11日、訪問先のインドネシアでの記者会見で、「会見録あるいは発言録をご覧になれば、私が大連立の『だ』の字でも1回でも言ったことがあるか。ダブル選挙の『だ』の字でも1回でも言ったことがあるか。どちらも私は申し上げたことはない」と述べ、改めて沈静化を図った。
ただ、参院選が近づけば、ダブル選挙の是非は与野党双方で再び議論が活発化し、参院選の結果次第では大連立論も再び注目される可能性はある。
2025年と同様に、干支が「乙巳」だった645年は、中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我氏を打倒し、国政を改革した大化の改新のきっかけとなった政変「乙巳の変」が起きた年でもある。
衆院選に続き、参院選でも党の総合選挙対策本部のナンバー2である本部長代行に就任した小沢氏は、新年会が行われた元日、SNSに投稿。「いわば政権交代の年。政権交代により『国民の生活が第一』の政治を実現すべく、本年も全力で取り組む」と訴えた。2025年、政治にさらに大きな変化が起きるかどうか、何よりも参院選の行方に注目が集まりそうだ。
(フジテレビ政治部 野党担当キャップ 木村大久)