昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
長身から投げ下ろすカーブ・フォークを武器に、東映(現・日本ハム)、南海(現・ソフトバンク)、阪神と渡り歩き通算113勝をあげた江本孟紀氏。引退後に執筆した著書「プロ野球を10倍楽しく見る方法」は200万部を超えるベストセラー。野球解説にとどまらずタレント、政治家などマルチな分野で活躍する球界のご意見番“エモやん”に徳光和夫が切り込んだ。
【前編からの続き】
今度は都市対抗野球の直前に…
法政大学を卒業した江本氏は1970年に熊谷組に入社する。
徳光:
熊谷組に入って今度は都市対抗ですね。

江本:
そうです。都市対抗を目指してたんです。
調子も良かったんですけど、都市対抗が始まろうってときに、腹が痛くなって病院に行ったら「急性盲腸炎だ」って言われて…。
徳光:ええっ。
江本:
アピールの一番いいチャンスに、またダメなんですよ。都市対抗は最後に腹を押さえながら1イニング投げただけ。
その後、秋にサンベツっていうのがあって、ここで目立てばプロに入れる。ここでは結構良かったんです。
熊谷組は1970年の産業対抗野球大会(サンベツ)に出場し、江本氏は全王子製紙を3安打1点に抑える好投を見せた。
江本:
でもね、ドラフトはされなかったんですよ。それで、絶望の淵に立たされました。
焦る日々に突然かかってきた1本の電話
徳光:
そうすると、どうやってプロに。
江本:
12月になると僕も焦り始めたんです。「どういう方法があるかな、テストしかないな」と思ってね、「プロ野球選手名鑑」を買って、ピッチャーの弱いチームを探してたんですよ。
徳光:
当時はドラフト外とかテスト入団とかありましたからね。
江本:
「巨人は堀内(恒夫)がいるし、ちょっと無理だろう。阪神は江夏(豊)がいる」みたいな。毎晩、いろんな球団のことを考えて寝られなかったですよ。
そしたら、突然、寮に電話があって、それがなんと東映(現・日本ハム)のスカウトだったんですよ。「君、プロ野球に来る気はないのか」って言われて。
徳光:
いきなりですか。

江本:
いきなりです。
「うちは今、欠員が出て、いろいろ探してるんだ。来る気があるんだったら来るか」。もう飛び上がりましたね。こんなチャンスがどこにあると。
ドラフト2位の選手がどうしても入らないということで、スカウトが色んなアマチュア担当の記者に聞いて、「そういえば熊谷組に変な奴がいる。球は速いけどどこに来るか分からない面白いやつ」って教えてもらったらしいんですね。名前を言ってくれた何人かのうちの1人が私だったんですよ。
コワモテ揃いの東映…まずは張本勲氏にご挨拶
徳光:
じゃあ、すぐに東映のキャンプ。
江本:
10畳くらいの部屋で選手が10人くらいいるわけですよ。先輩から「お前、ちょっと来い。今日から入ったんで、御大に挨拶に行こう」って言われてね。行った部屋が張本勲さんの部屋なんですよ。

徳光:
へぇ。
江本:
ビビったですね。もう足震えながら行きましたもん。張本さんは部屋に1人でいるんです。正座して、「今度入りました」って挨拶したら、先輩が言うわけですよ。「こいつは、あちこちで問題を起こしてね」とか。

徳光:
そんなことを言うんだ(笑)。
江本:
そしたら、張本さんがひと言、「お前、ここに来たらケンカしたらあかんで」って。「えっ、これ、どこの世界?」みたいな感じですよ(笑)。
それで、張本さんが何を思ったか、「そこにアメリカから来た菓子がいっぱいあるから、お前、手に持てるだけ持って帰れ」って。
張本さんのところに行った僕が帰ってくるのを、みんなが待ってるんですよ。それで、部屋に戻った僕がお菓子をダーッと置いたんですね。そしたら、みんなびっくりしちゃってね。「お前、これ、どうしたんだ」と。「張本さんが『持って帰れ』って言った」って言ったら、「あの人に物をもらったのは、お前しかいない」って(笑)。そうらしいですよ。
土橋正幸コーチからの無茶ぶり指令で大ピンチ

当時の東映のピッチングコーチは土橋正幸氏。現役時代は速いテンポの投球から「江戸っ子エース」と呼ばれ、後にヤクルト、日本ハムなどで監督を務めた。
江本:
“喧嘩、江戸っ子、土橋正幸”。もうすごいすごい(笑)。先輩から「これだけは逆らうな」と言われてたんですよ。
その土橋さんから、いきなり「お前は人より遅れてんだから、今日あたり、フリーバッティングで投げろ」って言われて。でも、こっちはまだ肩ができてないですよ。
徳光:
そうでしょうね。
江本:
まだ1週間も経ってないですから。
フリーバッティングってバッターが3人1組で出てくるんですよ。「お前、この組で投げろ」って言われた組の先頭打者が、前の年に25歳でホームラン王になった大杉勝男さんですよ。
徳光:
大杉さん、へぇ。

江本:
もう顔見るだけで怖いじゃないですか。ハーッって構えてくるしね。
ストライクが入るわけないですよね。10球くらい入らなくて、怒ってバッティングケージから出ていきましたよ。「馬鹿たれ、お前!」、ガンッって出て行ったんです。足震えながら、「すいません」って謝って。
次に出てきたのはなんと白仁天ですよ。

徳光:
うわっ。
江本:
この人はさらに怖いですよ。また、10球くらいストライクが入らないんですよ。
「パカヤロウ」って言われました。「パカヤロウ、パカヤロウ」。
それで、3人目に来たのが張本勲さんなんです。もう目の前、真っ白です。
徳光:
もっと投げられなくなっちゃうよね。
江本:
投げられないですよ。もう「この人にストライクが入らなかったら辞めよう」と思ったんです。「やっぱり俺にプロ野球は無理なんだ」と。
それで1球投げたんですけど、やっぱりクソボール。それからクソボールが10球くらい続いたんですけど、張本さんは鼻歌まじりに片手で、ハエ叩きでハエを叩いてるみたいな感じで全部打つんですよ。そこが大杉さん、白さんとの違い。そうやってるうちにストライクが入り始めたんです。
徳光:
へぇ。
江本:
それで僕は命拾いしたんです。あのままストライクが入らないで、張本さんにバットをバーンって投げられて、「バカヤロー」って言われてたら、今日はなかったんですよ。あれがなかったら、プロではやっていけてなかったですよ。
野村克也監督「俺が受けると2桁勝てる」
江本氏の東映でのプロ1年目の成績は、26試合に登板して0勝4敗、防御率5.02。この1年目のオフに南海(現・ソフトバンク)にトレードされる。
徳光:
南海へのトレードはどういう経緯だったんですか。

江本:
当時、野村さんが南海の監督で4番でキャッチャーだったんですよ。
徳光:
プレイングマネージャーだったころだ。
江本:
南海には、高橋博士さんっていうすごいライバルキャッチャーがいたんですよ。どうもこの人を出したかったんでしょうね、私の解釈では。
この高橋さんを出すために東映に声をかけて、「東映から誰をくれるんだ」と。佐野(嘉幸)さんっていうサードをやってる人。それだけだと釣り合いが取れないから、「あと誰か付けろ」と言われて、「そういえばドラフト外で安い金で入ってきた、来年やるかどうか分からんアイツを付けとけ」って出てきたのが僕なんですよ。
で、南海に行って練習が始まったその日、野村克也がグリーンのリンカーンでグラウンドの中まで入ってくるわけですよ。「くそー。俺の給料だとあのタイヤくらいしか買えねぇな」とか思いながら見てたら、藤山寛美みたいな顔して出てきた。グリーンのブレザーかなんか着て、もうセンスのないこと(笑)。
徳光:
(笑)。
江本:
「おい、お前ら、俺みたいにいい車が欲しかったら、しっかり頑張れや」とか言ってね。もう内心では「このクソガキ」と思ってね。プロの世界は、みっともないんですよ(笑)。
その練習が終わったら、「監督室で監督が待ってる」って…。
徳光:
呼ばれたんだ。

江本:
初めて面談。「今度入りましたんで、よろしくお願いします」って野村さんに挨拶したら、「おい、お前の球な、敗戦処理で時々来るの見てたけど、俺が受けると2桁勝てるぞ」って言われたんですよ。
徳光:
へぇ。
江本:
その言葉は嬉しかったですね。お愛想にせよね。高校で出場停止になって以来、初めての温かい言葉なんです。これは効きましたね。
南海1年目…いきなりの16勝
江本:
それで、開幕2戦目に先発ですよ。その試合は延長11回くらいまで0対0だったんですけど、最後に1点取られて、結果的にサヨナラ負けしたんですよ。
徳光:
その試合は負けたんだ。
江本:
ええ。それで、帰りのバスの中で野村がマイクを持って、バッターみんなをボロクソに言うわけですよ。「お前らなぁ、江本に借りができたからな。次は返せよ」。順番に「お前、なんだ、あのバッティングは。ぶりぶり振り回して」とかって。自分もノーヒットなのに、そのときは監督になってますからね(笑)。
でもまあ、僕に向かって励ます意味で言ったんでしょうね。「南海っていうチームは、俺を仲間にしてくれたな」と思いました。
徳光:
はぁ、なるほど。
江本:
その試合の1週間後くらいのロッテ戦で完投勝ち。それがプロ入り初勝利なんですよ。
それから、ダーッと16勝しましたから。
南海1年目、1972年の江本氏の成績は38試合に登板して16勝13敗、防御率3.04。東映時代の前年の成績、0勝4敗から大躍進を遂げた。
阪神へのトレード…原因はサッチー!?

1975年オフに江本氏は阪神にトレードされる。南海からは江本氏のほかに島野育夫氏、長谷川勉氏、池内豊氏、阪神からは江夏豊氏と望月充氏という2対4のトレードだった。
徳光:
南海から阪神へのトレードが、いまひとつ分からないんですけど、どういうことでトレードになったんですかね。
江本:
表向きになってる話は、阪神の監督だった吉田(義男)さんが、「江夏のような難しいピッチャーはもう扱えないから取ってくれないかな」と、野村さんに打診したわけですね。野村さんは、「あんな大投手をくれるなら。俺はあいつと1回バッテリーを組みたかったんで取ってもいいよ」ということで、話が決まっちゃったわけですよ。
「じゃあ、阪神の方は誰が欲しいんだ」ということで、僕の名前を南海が出したのか阪神が出したのか分からないですけど、江本と島野の2人に若いピッチャーを2人つけた。それで、4対2のトレードをやろうということになって阪神に行ったんですよ。
徳光:
水面下では野村さんの愛人問題があったみたいな話もありますよね。
江本:
そうです。あのころね、サッチー(伊東芳枝氏。後の野村沙知代夫人。当時は野村氏と不倫関係にあった)がね、チョロチョロし始めたわけですよ。サッチーが周りで動いてるっていう話でね。
徳光:
どういうことですか。サッチーが動いてるって。
江本:
監督に口出しするんでしょうね。「あの選手を使え」とか「使うな」とか。
徳光:
そうですか。

江本:
門田博光は、「あんなもん、ろくなもんじゃない」みたいなことを。これ、噂ですよ。
僕は当時、一応中心選手だったんで、「お前と何人かで監督に忠告せい」という話になって、それで、ノムさんをホテルに呼び出して、「こんなにチーム内が動揺してる。だから、その辺を整理して、すきっとさせるのが大事じゃないですか」みたいな話を延々とした。野村は言えば分かる人なんですよ。「あぁ、そやなぁ」とか言って。それで、いい感じで終わったんですよ。
でも、そのオフの選手会のゴルフコンペに、野村がゴルフもしないのに来たんですよ。それで「おい」って僕を呼ぶんですよ。「お前、ちょっと旅に出てこい」。

徳光:旅に出てこい(笑)。
江本:
「旅ってどこですか」って聞いたら、「阪神や。相手は江夏や。江夏に見合う大投手って言ったらお前しかおらんやろ」って言われて。
徳光:へぇ、うまいなぁ。
江本:うまいですよ。だけど、決まったら4対2です(笑)。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/9/24より)
【後編に続く】
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