プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
高校時代は浪商高校(現・大体大浪商)のエースとして“ドカベン”香川伸行氏とバッテリーを組み、センバツ準優勝、夏ベスト4に輝いた牛島和彦氏。フォークを武器に中日・ロッテで主に抑えとして活躍し、通算53勝126セーブ。最優秀救援投手1回。巧みな投球術で打者を翻弄した頭脳派右腕に徳光和夫が切り込んだ。
【中編からの続き】
フォークはじん帯が伸びて誕生!?
徳光:
牛島さんといえばやっぱりフォークボールなんですけど、2年目のときにはもう投げてらっしゃいましたか。
牛島:
はい。1年目も投げてたんですけど、1年目、2年目はあんまり落ちない、チェンジアップみたいな球でした。僕は見ての通り指が短いんで、ボールを挟むと圧がかかって抜けないんですよ。
徳光:
落ちないってことですか。
牛島:
落ちないんですね。そんなに腕を振れないんで、どっちかといったらフォームが緩むみたいな形だったんですよ。だから、「指の股を切ろうかな」って思ったくらいです。でも「切ったら痛そうやからやめとこう」と思って(笑)。
徳光:
それはそうでしょう(笑)。

牛島:
人さし指と中指のストレッチングをずっとしてたら、ものすごく腫れたんですよ。指のしわがなくなるくらい。「やばっ。野球できなくなるかもしれん。腫れて指が曲がんないし、どうしよう」ってなって二軍に落ちたんです。でも、腫れがひいたら関節がグニャグニャになってた。じん帯が伸びたんですかね。
徳光:
えーっ。
牛島:
僕は普通にボールを挟むと、挟んでる力がかかって抜けないんですよ。でも、ボールを挟んで指を曲げると、指の股がグニャグニャっとなって、指の股のところにえくぼみたいなのができるんです。

徳光:
あれ、ほんとだ。えくぼができますね。
牛島:
こうなるとスパッと抜けるんです。ボールを挟んで指を曲げると、腕を振ってもスパッて抜けるようになったんです。それで、3年目からフォークボールが落ちるようになって、クローザーになったんです。
クローザーで才能開花…初めての「優勝」
徳光:
3年目に「抑えをやれ」っていう話があったわけですね。それはキャンプのときですか。
牛島:
そうです。2年目に先発をやって良くなかったんで、近藤(貞雄)監督から、「お前は度胸があるから、ショートイニングのほうが性に合ってるやろ」みたいな感じで言われましたね。
徳光:
度胸は高校時代からありましたもんね(笑)。

牛島氏はプロ3年目の1982年、抑えとして活躍。53試合に登板して7勝4敗17セーブ、防御率1.40の成績を残し、中日8年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
徳光:
防御率1.40はすごいね。
牛島:
1イニングじゃない時代でしたからね。2イニング、3イニング投げなあかん時代でしたから。
徳光:
中日の優勝に大きく貢献されたわけですけど、甲子園では達成できなかった優勝の味はいかがでしたか。
牛島:
優勝はあんまり経験がなかったんで、プロ3年目21歳で初めての大きなタイトル。「やった!優勝した!」みたいな感じでしたね。
会社の事情でセーブ記録を避けた!?

プロ4年目の1983年は先発とリリーフの両方の役割を担った牛島氏。37試合に登板し、そのうち9試合は先発だった。この年は最終的に10勝8敗7セーブの成績を残した。

牛島:
あの年はピッチャーが足らなかったら「先発しろ」。先発ピッチャーが戻ってきたら「リリーフしろ」。先発したりリリーフしたり忙しかったですね。トータルで2桁勝ったんですけど、球団としたら、「純粋に先発で2桁勝ってないから10勝じゃない」って。
徳光:
言われたんですか。
牛島:
はい。厳しかったですよ。
徳光:
そうか。査定にかかわるわけですね。
牛島:
給料が全然上がんないんで、4年目が終わったときに、「来年、誰からも文句の付けようのない数字を残したら、お前の言い値で上げてやるって紙に書いてください」って言ったんです。それで、5年目が29セーブ。

この年、牛島氏の成績は50試合に登板して3勝6敗29セーブ、防御率2.74だった。
徳光:
最多セーブですね。
牛島:
そのときの日本記録が30セーブだったんですよ。
徳光:
そうですか。
牛島:
僕はもう1試合出られたんですよ。セーブがつく場面があったんです。だけど名前を呼んでもらえなかった。
徳光:
それは会社の事情で(笑)。
牛島:
会社の事情で29セーブなんです。でも29セーブは日本記録に等しい。契約更改で「どうしましょう?」って入っていったのは初めてでした。
徳光:
それで、0が3つになるわけですか。

牛島:
そうですね。ぶっちゃけた話、800~900万円から4000万円弱になりました。僕、そのとき23歳でしたからね。
徳光:
俺もプロになったなみたいな実感が、金額面であったんじゃないですか。

牛島:
ありました。そのときは王さんがまだ7000万円とかの時代ですから。
優勝争いしてるときかな、ピンチで山本浩二さんが打席に入って、「うわっ、この緊張感、どうしよう」と思ったときに、「この人は俺の年俸を1カ月でもらってるから打たれてもいいよな」とか思いながら投げてました(笑)。
徳光:
そうですか(笑)。その山本浩二さんには結構打たれてますね。

牛島氏との山本浩二氏との通算対戦成績は33打数12安打、打率3割6分4厘、2本塁打、9三振だ。

牛島:
広島には癖がバレてました。広島の人は「そうだ」とは言いませんけどね。トレードでロッテに行きましたけど、セントラルからパ・リーグに来てる人がいっぱいいるじゃないですか、その人たちに教えてもらいました。
僕はフォークを投げるとき、低く投げたいから、キャッチャーのサインを見た後、もう一回、確認で目が下のほうを見るらしいんですよ。それを広島の荷物を運んでるドライバーの人が、「あいつ、フォークボールのとき、下を向くな」とか言って、それからフォークボールが見られるようになって打たれてるんです。
徳光:
そうですか(笑)。ドライバーさんが見破ったんですか。
名古屋駅ホームで星野監督「バカモン!!」
中日で主力ピッチャーとして活躍していた牛島氏だったが、1986年オフにロッテにトレードされる。交換相手は三冠王に3度輝いた落合博満氏で、中日からロッテに移籍したのは牛島氏に加えて上川誠二氏、平沼定晴氏、桑田茂氏の4人。4対1の交換トレードである。星野仙一氏が中日の監督に就任した直後のことだった。

徳光:
1986年オフのロッテへのトレードは、星野さんが監督になったときですよね。このトレードは一体何だったんだろうと、いまだに疑問を持ってるんですが。
牛島:
そうですよね。僕も星野さんにかわいがってもらってたし、星野さんが監督になるから、「よし、頑張るぞ」って思って…。
徳光:
そうやって臨んだんですよね。
牛島:
ただ、僕も監督を経験させてもらいましたけど、あの時代に落合さんが巨人に入ったら、中日の優勝はなかったですよね。やっぱり阻止する。
徳光:
そういうことがあるわけですか。
牛島:
はい。自分が新監督になって優勝したかったら、巨人に取られちゃダメでしょう。
徳光:
そうか、天理高校に入っちゃいけないのと一緒なんだ。
牛島:
僕も高校のときから、いろいろ経験してますから(笑)。だからトレードが決まって、「行きます」って記者会見して…。
東京へ行く新幹線の名古屋駅のホームで、ファン、警察、マスコミでグッチャグチャの中を、星野さんが来てくれたんですよ。僕はトレードされるのに、「ありがとうございました」は変じゃないですか。「お世話になりました」も変ですよね。言いようがないですよ。これ、なんて言ったら…。
徳光:
ええ、ええ。

牛島:
すっきりするには、「星野さんやから、一回怒らせたほうがええかな」みたいに思って。それで「落合さんのお迎えですか?」って言ったんですよ。
徳光:
すごいね(笑)。

牛島:
そしたら、駅のホームの新幹線のドアのところで「バカモン!!」って。
徳光:
いやぁ、それはなんか泣けますね。
牛島:
「バカモン!!」って大きな声で言われて、チャンチャンで終わりましたね。あれで僕はすっきりしたし、星野さんもすっきりしたと思うんですよ。
徳光:
でも、胸にこみ上げてくるものはあったでしょう。
牛島:
そうですね。でも、「ここは自分らしくいかなあかん」って思いましたね。

ロッテに移籍した1987年、牛島氏は41試合に登板し、2勝4敗24セーブ、防御率1.29の成績で最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
徳光:
落合さんとの交換トレードでしたから、ロッテでそれなりの役割を果たさなければいけないっていう気持ちもあったんじゃないですか。
牛島:
そうですね。ありました。4対1で行きましたけど、誰か1人がタイトルを取れば4人全員が報われるじゃないですか。相手は三冠王やから匹敵するような数字は残されへんけど、タイトルが備われば…って気持ちでやってました。
伝説の「10.19」 引退する梨田氏と真っ向勝負

1988年10月19日のロッテ対近鉄のダブルヘッダーはプロ野球史に残る試合だ。近鉄が連勝すれば優勝、それ以外の場合は西武が優勝するという状況だった。第1試合は8回表に追いつき9回表に勝ち越した近鉄が4対3で逆転勝利、第2試合は延長10回4対4の時間切れ引き分けに終わり、近鉄はあと1歩のところで優勝に手が届かなかった。
徳光:
「10.19」では、異様な雰囲気の中で登板されるわけですけど、このときのお話を聞かせてもらえませんか。
牛島:
近鉄に勝ったら西武が優勝、負ければ近鉄が優勝。ロッテはどっちにしても悪者なんですよ。「悪者は悪者なりに何をすべきなんだろう。じゃあ、目いっぱい力を出そう。それを周りの人は見てくれるやろ」っていうミーティングをやって臨んだんです。

牛島氏は第1試合の9回表1アウト二塁、3対3の同点の場面で登板した。鈴木貴久氏にライト前ヒットを打たれるが、セカンドランナーがホームタッチアウトで2アウト二塁となる。ここで近鉄は梨田昌孝氏を代打に送った。

牛島:
梨田さんはその年で引退ですよ。ラストの打席かもしれない。
そのとき、一塁が空いてたんです。敬遠して塁を埋めて次のバッターと勝負、試合に勝つ鉄則ならそっちなんですよ。だけど、「俺がここで梨田さんを敬遠して、次のバッターを抑えて何の意味がある?」って思いました。
徳光:
高校時代の牛島さんと同じですね。
牛島:
梨田さんも引退するんやけど、思いきり勝負してアウトになったら諦められる。アウトやったらファンも「勝負してくれてアウトになった」っていうことで、もういいでしょう。だから、「打たれたら打たれたでええやないか」と思いながら、いつもと違って勝負をしたんです。外を見せといてインサイドにツーシームを投げた。ガシャッて詰まったから「よし」と思ったら、センターの前にポトンと落ちたんですよ。それで1点入って…。

徳光:
そうか、ポテンヒットでしたもんね。
牛島:
はい。大盛り上がりでしたね。負け投手になってロッカーにいたら、営業担当の人が来て、「第2戦のテレビ放映が決まりました」って。
徳光:
そうですか(笑)。
牛島:
「放映が決まったんやったら、放映権料を俺にちょっとちょうだいよ。普段、テレビの放映権料なんか入ってけえへんねんから」とか言ってね(笑)。僕もちょっとくらいパ・リーグに貢献したかもしれない。
徳光:
(笑)。
結局引き分けに終わった第2試合のテレビ中継は関東で30.9%、関西で46.7%という高視聴率を獲得した。パ・リーグの試合としては信じられないような驚異的な視聴率であった。
伊良部秀輝氏「なぜ157km/hで打たれるんですか」
徳光:
ロッテに行かれてから、小宮山(悟)さんとか、伊良部(秀輝)さんが牛島さんを慕って、牛島さんが助言されてたっていう話を伺いましたが。
牛島:
僕が行った当時は、ロッテのドラフト1位は入団を断る選手が多かったんです。だから取ってる選手は、ものはええけど他の球団は手を出さないみたいな選手が多いんですよ。小宮山なんかは2浪して入ってきてましたから。

徳光:
そうでしたね、2浪で早稲田でしたね。
牛島:
はい。ルーキーのシ-ズンが25歳ですから、「1~2年かけて体を作ってとか言ってられへんよ。もう25歳やから、すぐに活躍しないとダメだよ」って。キャンプに入って紅白戦でポロポロに打たれたその日に「ちょっと教えてください」って相談に来ました。「ええよ。いくらでもええよ」って。
徳光:
そうですか。

牛島:
伊良部もそうです。伊良部が「なんでウシさんの135km/hが抑えれて、僕の157 km/hが打たれるんですかね」って言うから、「じゃあ、俺と同じことができたら、お前は勝てるんじゃないの。ええよ、教えてやるよ」って言って。そしたら、0勝6敗くらいから8勝7敗くらいまで行って、次の年からフルに活躍できましたからね。
徳光:
そうでしたよね。
牛島:
コミ(小宮山氏)もメジャーに行ったし伊良部もメジャーに行った。他のやつも教えたやつがメジャー行ったりするけど、でも別に俺はメジャー行かすためにやったわけじゃないからね。
徳光:
(笑)。
牛島:
ちゃんと日本の野球もやってるから(笑)。でも活躍してくれると僕もうれしかったですね。
徳光:
それはそうでしょうね。
牛島氏は1990年から血行障害に苦しみ、1993年のシーズン限りで現役生活に別れを告げた。
徳光:
32歳という若さで引退されたわけですけど、この決断はどうしてだったんですか。

牛島:
FAの権利は持ってたんですよ。FAで手を挙げたら、どこか採ってくれたと思うんですけど、「5勝とか3勝しかでけへんのに、FAで手を挙げるのは失礼やな」と思ったんです。やっぱりFAで行く限りは、10勝ないし20セーブっていうのが最低のノルマみたいに思いました。相手バッターと勝負する前に、自分の体と勝負してるから、もうあかんなと思って、辞めようと決めましたね。
徳光:
そうですか。僕の率直な感想としては、32歳で引退されたとは思えないほどプロで活躍された、そういう印象深いレジェンドが牛島和彦っていうピッチャーですね。今日は改めてそう感じさせていただきました。
牛島:
ありがとうございます。
徳光:
長い時間、ありがとうございました。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/5/13より)
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