福岡市の私立高校。授業中に生徒たちが行っていたのは落書き。「こんな作業をする授業が、なかなか無いので面白い」と生徒たちにも好評だ。独自に「面白い授業」を実践する若手教師を取材した。
モロッコの民族衣装で登場
2024年11月、福岡大学で開催された『オモロー授業発表会』。小・中・高などの教師が、独自に考えた授業内容や生徒への指導方法などを教育関係者や子どもたちの前で披露する発表会だ。この発表会にモロッコの民族衣装で登場した高校教師がいた。高校で世界史を教える田中隆斗教師(28歳)だ。

「『なんでそんな服、着てきたの?』『なんでこの人、そんな恰好なんだろう』って聞きたくなるでしょ。そこで生徒たちと話しができる」と語る田中先生。生徒との向き合い方について熱弁する。田中先生が考える「面白い授業」とは一体どういうものなのか、勤務先の福岡市の上智福岡高校を訪ねた。

「最初は教科書通りにきちんと教えることをしないといけないなと思ったので、指導書の通りやるのが精一杯でした」と当初は一般的な授業に専念していたと田中先生は話す。

田中先生が、授業のスタイルを変えていこうと思い立ったのは、大阪で出会った現地の教師たちとの触れ合いがきっかけだった。学校の垣根を越えて勉強会を開き、面白い授業とは何かを議論する姿に感化されたという。
教室内に「ベルリンの壁」を再現
この日の授業。教室には白い壁が立っている。「ベルリンの壁です」と田中先生は白い発泡スチロールを指差す。かつて東西冷戦の象徴としてドイツを分断していたベルリンの壁。その壁を大きな発泡スチロールで表現していたのだ。

そして、ベルリンの壁について世界史の授業が始まった。

「実際の壁はもっと高いです。3メートル以上。そこに実際に落書きがしてあった。落書きを君たちがしていきます」と当時のベルリン市民が、どんな思いで落書きをしたのか追体験してもらおうと、生徒たちに自由に落書きさせたのだ。

落書きした生徒は「これはドイツ語で『自由』という意味。こっちはドイツ語で『家族に会いたい』と書きました。壁のせいで家族と離れ離れになってしまったということを習ったので『家族に会いたい』と願う人がいたのかなと思って」と苦難を強いられた人々への思いを語った。

なかでも目を引いたのは、実際にベルリンの壁に描かれたブレジネフ書記長とホーネッカー国家評議会議長をモデルに描かれた落書き。

「自分たちでアレンジを加えて描いている。すごいです」と秀逸な1枚に田中先生も感心したようすだった。
落書きした「ベルリンの壁」を破壊
生徒たちが当時に思いを馳せて落書きしたベルリンの壁が完成した。そして次の作業が始まる。

「今から、歴史の事実に則って壁を壊します。壁を壊した人々の思いとか東西ドイツがその後、どう経済状況が変わっていくのか、そんなところまで考えると深いんじゃないかと思います」と壁を壊す。生徒たちはそれぞれの思いで壁を破壊していった。

生徒の1人は「落書きを書いて自分の気持を表に出す。昔の人たちも、たまった気持ちを落書きで発散していたのかな」と破壊された壁を見詰めていた。

田中先生の授業について上智福岡中学高校の船橋巌校長は「学校の方針としても、何か体で感じられるような授業を作るように先生方にはお願いしている。教育なんてひとつのやり方なんて絶対ないわけで、いろんなかたちで最終的に社会に貢献するような良い人間を育てることが大事」と歓迎している。
「知的好奇心」に大きな影響
田中先生の記憶に残る授業への思いは、進路指導の場面でも表れている。親との3者面談もユニークで、生徒に進路についてプレゼンをさせるという。その結果、自分の将来を見つめ直す貴重な機会として生徒たちも真剣に向き合うことになるのだ。

「学校というのは、知識以外も感性であったり、それを活用したり、人と一緒にやる経験、自分自身に向き合う経験、こういうことがすごく大切」と田中先生は話す。
しかし、保護者として気になるのはやっぱり受験対策だ。実はベルリンの壁の授業を受けていたクラスは高校3年生で、その週末に大学受験を控えている生徒もいた。ただし、田中先生が担当する世界史の成績は、過去の授業や日本史や地理などの選択科目と比較しても遜色ない成績だという。当然、プリントを使った授業も並行しながら進めている体験型授業だが、学びに必要な知的好奇心に大きな影響があるのだ。

現在も九州の教育関係者のグループに参加し、生徒の記憶に残る授業をするにはどうすればいいか、模索する日々を送っている田中先生。次の授業は生徒たちにどんな記憶を残してくれるのだろう。
(テレビ西日本)