全身の筋肉が急速にやせ衰えていく難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者、吉岡哲也さん。TSKさんいん中央テレビは、6年近くにわたって難病と向き合う姿を取材してきた。しかし、吉岡さんは2024年11月、家族に見守られながら61歳の生涯に幕を下ろした。
「吉岡哲也の人生、乾杯」と言って
ビールを手に笑顔で写真に収まる、島根・松江市の吉岡哲也さん。

難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)と闘ってきたが、2024年11月30日、61歳の生涯に幕を下ろした。

吉岡さんの妻・朋子さんは「遺影にしたのは、私の大好きな主人だからです。私の大好きな主人の顔、よく頑張ったね。『吉岡哲也の人生、乾杯』って言っていただきたい」と、ほほえみながら話す。
5年10カ月 難病との闘いを取材
TSKさんいん中央テレビのカメラは、吉岡さんが亡くなるまでの5年10カ月にわたって、難病と向き合う姿を記録してきた。

「まだ屈伸とかできます」と、カメラの前で体を動かして見せる吉岡さん。
吉岡さんの難病との闘いに初めてカメラが向き合ったのは、2020年のことだった。

吉岡さんが患ったALSは、全身の筋肉が急速にやせ衰えていく、原因不明の難病だ。
全国に約1万人、島根・鳥取両県にも100人を超える患者がいるとされ、発症後2年から5年近くの間に筋肉の衰えから呼吸不全に陥り、亡くなる患者も少なくない。
この当時、吉岡さんは、自分の力で歩くことができていた。
ゴルフで違和感…診断は「ALS」
吉岡さんが体の異変に気付いたのは、趣味のゴルフがきっかけだった。
妻・朋子さんは「ゴルフで飛ばない、飛ばないって言って帰ってきて。打ちっぱなしに行っても飛ばない」と、当時のことを覚えていた。

吉岡さんも「だんだん呼吸も弱くなって肺活量も落ちた。しゃべりにくさが出て」と振り返った。プレー中に違和感を覚えたあと、歩くだけでも疲れを感じるようになった吉岡さんは、病院で検査を受け、2019年、ALSと診断された。
病気が進むと、杖を使わなければ歩くことができなくなり、筋肉も徐々に衰えていった。

肩や背中の骨が浮き出た後ろ姿。
変わりゆく自身の姿を見て、吉岡さんは「なにこれ?俺こんなんなの?」と漏らした。
ベッドの上で「命の選択」に揺れる
筋肉が衰え、体を動かすこともままならない。次第にベッドの上で過ごすことが多くなった吉岡さんが向かっていたのは、パソコンの画面だ。

最後まで自力で動かすことができる眼球を使い、視線の動きでキーボードを操作し、パソコンを通じて意思を表現する「意思伝達装置」の練習に明け暮れていた。

病気が進行して呼吸するのに必要な筋肉が衰え、自力での呼吸が難しくなった場合に、人工呼吸器を装着するかどうか、患者は自らの意思をあらかじめ示しておく必要がある。
練習は、次に訪れることになる「命の選択」に対する自らの決断を伝えるための準備だった。
人工呼吸器を装着する場合、患者の気管を切開する必要があり、この手術を受けることは、声を失うことを意味する。しかし、装着しなければ、命を長らえることはできず、運命を受け入れるほかない。

病気が急速に進み、手や足の運動機能だけでなく呼吸機能も日に日に衰えていくなか、吉岡さんは、「(人工呼吸器を)つけないと死ぬわけでしょ。死ぬのが怖い。つけるということは、延命はできるけど家族に負担をかけてしまう。何年後にもう外してほしいって思うかも」と、「命の選択」を前に心は揺れていた。
桜の下で「来年も見に来られたら」
ALSと診断されてから2年余りがたった2022年の春。吉岡さんは、朋子さんと松江市内の、とある川のほとりにいた。

春らんまん、満開の桜の下で、吉岡さんは「桜のように美しく生きなきゃ、来年も見に来られたらいいけど」とつぶやいた。

桜の季節が過ぎたころ、吉岡さんは、気管を切開し、人工呼吸器を装着することを決断した。
手術室に入る吉岡さんに、朋子さんは「バージョンアップしてきてね」と声をかけ、夫の決断を後押しした。
「体は不自由でも心は自由」
刻々と進む病気と向き合いながら、吉岡さんは、体の自由を奪われても、心は自由だった。
2023年、吉岡さんは、日本ALS協会島根支部の定期総会に初めて参加し、同じ境遇の患者と交流した。

「ALSにはなりましたが、人生が終わったわけではありません。新しい暮らしが始まったんだと気持ちを切り替えました」と、吉岡さんは話した。
家族に見守られながら安らかに…
しかし、2023年12月、吉岡さんは息苦しさを感じ、肺炎を起こすようになった。
やがて、人工呼吸器を装着しても呼吸が難しくなり、2024年11月30日、家族に見守られながら、息を引き取り、61歳の生涯、そして難病との闘いに幕を下ろした。

2024年12月、松江市内で吉岡さんの葬儀が営まれ、妻・朋子さんが喪主として、あいさつに立った。

妻・朋子さん:
思いもしない筋萎縮性側索硬化症という難病の診断を受けてから5年10か月、明るく、誰にでも好かれる人でしたから、病の日々にも新しい出会いがあり、多くの人とつながりを得られたことでくじけずにやってこられました。しかしながら、本人の願いとは裏腹に、この病気は哲也さんの心と身体を確実に終わらせ、安らかに旅立ちました。明るく生き抜いた哲也さんの人生を彩ってくださった皆さまに、家族一同、心から感謝申しあげます。

病気と向きあいながらも笑顔を絶やすことはなかった吉岡さんをしのび、闘病生活を支えた人々との絆に感謝を表した。
(TSKさんいん中央テレビ)