下重:
もちろん話しましたよ。怒りながら。母は「お母さんが悪かった」といって、ひたすら謝り続けていましたが、彼女の考え自体が変わったわけではないと感じました。その場は収まっても、人間の本質なんてそうそう変わるものではありません。だから、秋吉さんのお母さまの話を聞いて、「ああ、いいなあ」と思ったのよ。
秋吉:
ありがとうございます。でもね──うちの母の性質は私に“祟って”いるところがあるような気もするんです。
下重:
祟る?
秋吉:
どこか無防備というか、すぐに心をオープンにして、誰でも受け入れてしまう。
下重:
それは美点じゃないのかしら。

秋吉:
うちの父は死の間際に「久美子、処世術……処世術が大事」と虫の息でいいました。臨終の言葉です。これって私のことを不器用だと思っていたわけですよね。下重さんもそうだと思いますが、接する相手によって態度を変えるとか、相手を選んで付き合うとかいうことは頭にないでしょう?
下重:
うん。そういう打算みたいなことは苦手だし、したくない。
秋吉:
父は父なりに心配してくれていたんだろうな……と。巷ではテクニカルな生き方をしている人のほうが多数派ですし、そのほうが生きやすいはずですから。父も心のピュアな人でしたが、公務員を長くやっていましたから、彼なりに「処世術」なるものの研鑽は積んでいたのだと思うんです。
下重:
私も巨大組織で働いていましたから、よくわかりますよ。
秋吉:
ある時、瀬戸内寂聴さんからお手紙をいただいたことがあって、それをふとした会話のなかで父に伝えたら、「おまえ、瀬戸内さんのような立派なかたから可愛がられているのか」と上機嫌になっちゃった。
普段から「新潮」とか「中央公論」を購読していたのもあったでしょうが、ミーハーだったし、名前とか肩書きに弱いタイプ。ずっと自信がもてない人だったのかもしれません。一方、自覚があったかどうかはわからないけれど、母は揺るぎない自信と誇りをもっていましたね。
下重:
概して、男性よりも女性のほうがどっしり構えていますね。

秋吉久美子
1954年生まれ。1972年、映画『旅の重さ』でデビュー後、『赤ちょうちん』『異人たちとの夏』『深い河』など出演作多数。早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科修了。
下重暁子
1936年生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。民放キャスターを経て文筆業に。著書に『家族という病』『極上の孤独』など多数。