秋吉:
はい。それ以外にも、母にはずいぶん支えられてきました。私、35歳の時に最初の離婚をしたんですけれど、実家にも雑誌の取材記者が訪ねていったらしいんです。ピンポーンってインタフォンが鳴って玄関のドアを開けたとたん、写真を撮られそうになったのだけれど、母はきっぱりといったそうです。

「30を過ぎた娘のことで、母親の言葉が必要ですか」

下重:
さすがですね、立派。

秋吉:
自分の母親ながら、私もさすがだと思いました。その時に対応したのが父だったら、きっとうろたえていたはずです。

下重:
そういう場面では、男の人のほうが弱いですからね。

金髪のクラスメイト

秋吉:
下重さんのお母さまはどんなかたでしたか。

下重:
母は新潟県の高田という、海に面してはいませんが、日本海に近い町で生まれ育っています。当時でいう地主の娘で経済的に豊かでしたが、なにしろ冬になると雪が3メートルも4メートルも積もって2階から出入りするほどの豪雪地帯です。

そのおかげで辛抱づよい性格になったのでしょう。すでにお話ししたとおり、大変な子煩悩で“暁子命”という感じだった。愛情を通り越して執着に近かったかもしれません。私も私で、小学校3年生くらいまでは思い出すと恥ずかしくなるくらいのいい子、優等生でした。

先ほど、秋吉さんのお母さまが髪をすいてくれたエピソードを聞きながら、私は自分の母親に腹を立てていたんですけれど──大阪・天満橋の近くの大手前高校という進学校に通っていた頃、同級生にすごくユニークな女の子がいたんです。髪の毛を金髪に染めているの。

作家・下重暁子さん(C)新潮社
作家・下重暁子さん(C)新潮社

秋吉:
金髪姿とは、当時では珍しかったでしょうね。

下重:
とても珍しかった。しかも、ブリーチではなく、ビールで着色していたというのよ。

秋吉:
ビールは髪の毛に栄養がありそうです。

下重:
本当にビールを使っていたのかどうかはわからないけれど、とにかくとっても個性的な子で周囲からも目立っていて、私は一方的に好意をもっていました。子どもながら、彼女の内面には光るものが感じられたんです。ところがね……うちの母が、友だちの母親と立ち話をしているのが偶然耳に入った。

「あの子、いろんな噂を聞きますから、あまり親しくなさらないほうがいいですよ」

そんな話をしているのよ。しかも、「素行が悪いらしいから」とかいう理由じゃなくて、出身地がどうの、家柄がどうの、というようなニュアンスでいっている。私、本当に頭にきましたね。人権問題に発展する発言じゃないですか。

秋吉:
それで憤慨なさった。

母の一言でますます反抗的に

下重:
自分の母親がそういう発言をしたことが本当に嫌だったし、許せなかった。この出来事は、私をますます反抗的な娘にしたと思います。

秋吉:
そのあと、お母さまとは話し合ったんですか。