「ずっと親友同士のような関係」だったと母親との関係を語るのは女優・秋吉久美子さん。

作家・下重暁子さんは、家族に尽くし続ける母親の姿に歯がゆさを感じ、中学生のときにセーラー服で母親に詰め寄った。

女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんによる特別対談『母を葬る』(新潮新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。

セーラー服の独立宣言

下重:
幼少期に結核にかかって自宅療養していた期間、私はほとんど誰にも会わず、離れの一室に引き籠って本の虫のような生活を送っていましたから、早熟でした。ましてや、そんな多感な時期に敗戦も経験している。これから先は自分だけの力でしっかり生きていかなくてはならない、という意思を強くもったんです。

家族であろうが母は母、私は私。だから、何かにつけて世話を焼こうとする母の存在が鬱陶しくて仕方がなかったの。それで、中学生の時にはっきりといいました。

「私は自分で生きる道を選んで、自分で食べていきます」

母親を目の前に座らせて、
「あなたは心配する必要はありません」
「私と関係なく、お母さんはお母さんの人生を歩いてください」

セーラー服を着た中学生の私が説教したのです。

対談する女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さん(C)新潮社
対談する女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さん(C)新潮社
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秋吉:
すごい……。