「母は強い意志をもってそのとおりに生き、逝ったんです」

下重暁子さんの母親は、宣言していた通り尊敬する自身の母の命日に亡くなった。「暁子に迷惑をかけたくない」と入院してから数日で旅立った母のことを下重さんは死への恐れはなかったのかもしれないと話す。

秋吉久美子さんは母親に死が近づいていた際に、死への恐怖を和らげることができなかったことが心残りだと振り返る。病気のことや死に関する質問を繰り返す母は、まるで子どものようで「自分の子どもを葬(おく)るかのような気持ちになった」と語る。

2人は母親の死を通して何を感じたのだろうか。

女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さんによる特別対談『母を葬る』(新潮新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。

黄昏時に旅立ちたい

下重:
死ぬ時は黄昏時がいい──って私、ずっと願い続けているの。それはおそらく母の影響です。

秋吉:
「暁子さん」なのに、夕暮れ時に。それはどうしてですか。

下重:
あくまで私の情緒的な理由です。夕焼けが闇へと変わる瞬間、人生に幕を下ろせたらなあ、と。秋吉さんは、夜の帳(とばり)が降りてきて世界がすうっと闇に包まれる瞬間、みたことありますか?

秋吉:
はい。一時期、沖縄の恩納村(おんなそん)と石川の中間地点で暮らしていたことがあるんです。沖縄本島って南北に延びていますけど、その中部のくびれたところよりもちょっと上のあたり。

東シナ海にも太平洋にも10分ほどあれば車で行ける距離でした。東シナ海に沈む夕陽はとっても美しくて、車を停めて見とれていると、水面が突然シルバーからシルバー・グレイに変わるんです。海が墨で染まるように。

対談を行った女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さん(C)新潮社
対談を行った女優・秋吉久美子さんと作家・下重暁子さん(C)新潮社
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下重:
それは素敵、いいなあ……。私はというと、夜になる瞬間を一度もみたことがないんです。チャンスはいくらでもあったはずなのに、「あっ、今ならみられるかも」と思った時に限って、通りすがりの人の会話に気をとられたり、猫の鳴き声にふり向いてしまったり。

我に返ると、視界が闇に呑まれていて、すでに夜になっているわけ。なんだか悔しいでしょ?そんな未だみぬ瞬間に旅立ちたいと思ってる。

秋吉:
その場にあるものはなに一つ変わっていないのに、光のあった世界が一瞬にして闇に覆われる。それと同時に、あちらの世界へ身をすべらせるということですね。

下重:
ええ。一歩前に踏み出すのではなく、後ずさりするでもなく、身じろぎもせずに命を終える。これが私にとってベストのシナリオです。