「日本でも、バッターに粘られたときには相手の目先を変えるためにたまにサイドで投げることもあったんです。でも、年間を通じてサイドで投げても通用しないと自分でわかっていました。
チームには左サイドスローの若手投手がいたけど、その選手に勝てる自信はありませんでした。もしも自信があればサイドにしていました。自分の考えを変えることに抵抗はありませんでしたから」
指令を突っぱねたら「干された」
球団からの指令を毅然と突っぱねたのである。その結果、どうなるかは明白だった。端的に言えば「干された」のである。
「GMからは、“サイドにしないのであればマイナーで頑張ってくれ”と言われました。お金を払っているのはヤンキースですから、球団の指令に従わないのであれば、それもしょうがないことです。ただ、一つだけお願いをしました」
井川が口にしたのは「マイナーでも構わない。その代わり、マイナーでは先発投手として起用してほしい」という願望だった。
そして、GMはその要望を受け入れてくれた。この点について、井川は今でも「ヤンキースには本当に感謝している」と語る。
「本来ならば、プロスペクトの有望な若手を使いたいはずなのに、それでも一枠を僕のために使ってまで約束を守ってくれた。自分が言ったことはきちんと守ってくれる。GMに対しては、今でもそんな思いを持っています」
2008年…14勝6敗、156回3分の1、防御率3.45
2009年…10勝8敗、145回3分の1、防御率4.15
3Aでの井川は持ち前の実力を発揮した。しかし、井川は3Aで投げるために海を渡ったのか?いや、決してそうではないだろう。だからこそ再度尋ねた。
――いくら3Aで結果を残しても、決してメジャーには上がれない。気持ちが腐ったり、心が折れたりすることはなかったのですか?
それでも、その答えは変わらない。