「ないですね。新しい環境で挑戦する。確かにメジャーの舞台ではないですけど、マイナーでそれは実現できていましたから」

移籍も考えたが「日本に戻らない」

淡々と、いや、ひょうひょうと語る姿が印象的だった。

さらに質問を続ける。

――「他球団に移籍しよう」とか、「日本に戻ろう」とは考えなかったのですか?

この問いに対しても、井川の答えはそっけない。

「他球団への移籍は考えました。代理人にも勧められたので、“移籍の意思はある”ということは表明していました。実際にサンディエゴ・パドレスから話があったようです。

でも、自分の給料以外に移籍金も必要になるから難しいということでした。またこの頃、日本の球団からもオファーがありました」

撮影/ヤナガワゴーッ!
撮影/ヤナガワゴーッ!

井川は明言しなかったけれど、渡米2年目のシーズン途中、読売ジャイアンツからオファーがあった。現在の給料を保証した上で、ヤンキースに移籍金を支払うという条件だ。

「ヤンキースとしても、代理人としても、そちらの方が魅力的だったと思います。それで、アメリカ国内移籍についてはあまり進展することがなかったようです。

ただ幸いだったのは、《国を跨ぐ際には本人の同意が必要》という条項があったことです。もちろん、球団から提示されたけれど、それは自分で拒否しました。それで日本行きの話も、それ以上進展することはなかったんです」

3Aでも挑戦させてもらっている

この言葉を受けて、再び井川に問う。

――「なおさら、日本に戻ろう」とは思わなかったのですか?

やはり、その口調には一切の迷いはなかった。

「思わなかったです。さっきも言ったように、自分は挑戦するためにアメリカに来ているんです。確かにメジャーではないけど、実際に投げる機会はもらっているじゃないですか。それは3Aかもしれないけど、挑戦はさせてもらっているわけですから」

それでもしつこく質問を重ねる。

――「阪神にとどまっていたら……」という思いもなかったのですか?

「ないですね。一度も……」

これもまた、何の迷いもない口調だった。

「マイナーって時間の余裕があるんです。若い選手が多いから、みんなで食事に行ったり、球場までロングドライブをしたり、すごく楽しい毎日でしたよ」

屈託のない笑顔で井川は言った。

『海を渡る サムライの球跡(きゅうせき)』(扶桑社)
長谷川晶一
長谷川晶一