1967年公開の映画「007は二度死ぬ」。ロケ地の一つで“007の聖地”ともいわれ今も残る鹿児島の古民家が、老朽化で倒壊の危機にひんしている。「ロケ当時の面影を残したい」と立ち上がった住民たち。そこには志半ばで亡くなった仲間への思いがあった。
「007は二度死ぬ」のロケ地・秋目集落
薩摩半島の南西、リアス式海岸の入り江が広がる鹿児島・南さつま市坊津町の秋目集落。人口50人ほどの小さな漁村が、映画「007は二度死ぬ」(1967年公開)の舞台のひとつとなった。
この記事の画像(13枚)晴天に恵まれた9月のある日、映画ファンの男性が、憧れの地を一目見たいと、東京からこの地を訪れていた。「やはり男のロマン、景色もすごくいい。(この映画は)日本が舞台だったので、自分で回れて気持ちがいい」とうれしそうだった。
秋目集落で民宿を営む上塘照哉さん(63)は、撮影当時のことをよく覚えている。「(ボンド役の)ショーン・コネリーもうちに行ったり来たりしていた。世界の人たちを呼び込める素材があるのは、50人もいない集落では素晴らしいこと」と胸を張る。
そんな上塘さんは現在、007を地域の活性化に生かそうと設立された、一般社団法人「007 AKIME」の代表を務めている。
「007の聖地」が倒壊の危機
この秋目地区には、“007の聖地”とされる場所がある。秋目の集落を見渡せる小高い場所に建つ古民家。「キッシー&ボンドの家」という愛称で呼ばれている。
映画ではこの古民家に、敵のアジトに乗り込むジェームズ・ボンドと、ボンドガール「キッシー」を演じた浜美枝さんが潜伏する設定で撮影が行われた。
しかし上塘さんに古民家を案内してもらい、縁側のサッシを開くと、昭和初期に建てられた建物は、ひどく老朽化が進んでいた。「見てください、シロアリ(の被害)がすごい」と嘆く上塘さん。8月の台風10号によって、さらに被害が進み、倒壊の恐れも出てきたという。
“ロケ当時の面影を残すことに意味がある”という思いから、上塘さんら007AKIMEのメンバーは、行動を起こした。古民家再生のため、屋根の補修や、柱や梁(はり)に強度を持たせる修復費として、350万円の支援金をネットで募るクラウドファンディングをスタートさせたのだ。
亡き仲間の遺志を継ぎ“クラファン”
上塘さんたちの行動の背景には、もうひとつ大きな理由があった。
秋目集落のリーダー的存在だった宮内一朗さんが2024年4月、病気のため68歳で亡くなった。仲間の遺志を継ぎたいという思いが、メンバーたちの背中を押しているのだ。
亡くなった宮内さんは、小学校5年生の時、エキストラとして映画に出演していた。
宮内さんの弟・明彦さんは、「(兄は)闘病生活で体をうまく動かすことができず、007やクラウドファンディングのことを一生懸命やれなかったことに悔いが残ったのではないか」と無念さを代弁してくれた。
2023年4月に行われた「映画「007は二度死ぬ」のロケ地巡りツアー」。この地を訪れた海外ファンに宮内さんは、「007の“国際子役スター”です」とユーモラスに自己紹介。古民家の前では「ここから見える景色は、映画と一緒。道路がアスファルトになっているだけ」と、撮影当時の面影が残る風景を熱くPRしていた。生前の宮内さんは、秋目地区がロケ地に選ばれたことを誇りにしていた。
そして、病気と闘いながらクラウドファンディングの準備を進めていたが病魔に勝てず、天国へと旅立った。弟・明彦さんは、上塘さんらのクラウドファンディングへの挑戦について、「天国でうれしく見ていると思う。頑張って達成してもらいたい」と期待した。
古民家は007の資料館として残したい
9月14日、上塘さんら007 AKIMEのメンバーは、映画の魅力を紹介しようと鹿児島市で開かれたイベントで、参加者にクラウドファンディングへの協力を呼びかけた。そして9月30日、クラウドファンディングは終了3分前の午後11時57分に目標の350万円を達成した。
200人を超える支援者のおかげで、夢が現実となった上塘さんは、「『もう無理かな』という気持ちだったが最後の最後に、ファンの協力で達成できた。(亡くなった)宮内一朗に負けないように、どんどん(地域の魅力を)掘り起こしてみんなを元気づけたい」と胸を張った。
古民家は今後修復作業が行われ、将来は007の資料館として後世に残し、“AKIME”の名を世界へ発信したいという。宮内さんの思いは、地域の仲間から映画を愛する世界中のファンに広がっていくに違いない。
(鹿児島テレビ)