高齢化率43%の団地で営業を続ける喫茶店。同時期に家を購入する団地では一気に高齢化が進み、常連客も店主も一緒に年を取っていく。避けられない「老い」に直面しながらも、そこには愛おしい時間が流れていた。
唯一の喫茶店が高齢者の憩いの場
昭和の雰囲気をそのまま残す喫茶店「珈琲庵馬庵鈴」。「馬庵鈴」で「バイオリン」と読ませる店名に心が和む。
この記事の画像(15枚)店内では高齢の男性客が2人、いつもの席にもたれかかってくつろいでいた。
「末包選手がきのう5打点をあげて、すごいよねえ。何とか2勝してマジックが早く点灯するといいね」
話題は決まって「カープ」のこと。カープの調子が良くても悪くても、話は盛り上がる。
「今日は勝つかもしれんよね」
そう相づちを打つ店主の小野康子さん、77歳。この店にやってくるほとんどが70代や80代の常連客だ。
ある客は「なんと言ってもやっぱり食後のコーヒーがおいしい。それを飲みに来ています。団地内で喫茶店はここだけですからね」と話す。
高齢化率43%…老いゆく団地の中で
この喫茶店がある広島市佐伯区の美鈴が丘団地は、山を切り崩して開発された住宅団地。
1978年から入居が始まり、現在、約1万人が暮らしている。同じ時期に家を購入する団地では一気に高齢化が進むと言われるが、この団地も例外ではない。完成から約40年が経過し、若かった住民も同時に年を取った。
2024年3月末時点の65歳以上の高齢化率は43.1%。広島市の平均26.4%を大きく上回っている。
かつて団地のにぎわいの中心だったのが、スペインの街並みをイメージした美鈴モール商店街だ。42年前、この場所で喫茶店「珈琲庵馬庵鈴」はオープンした。以前と比べて人通りは少なく、空き店舗が目立つ。小野さんはところどころシャッターが下りた商店街を眺めながら、懐かしそうに言った。
「昔は催し物が多かったんですよ。みんなが若かったから。こんなに人がいるんだというほど集まっていましたね。この頃は催しも少なくなっている。店主が年を取って元気がなくなっているんですよね。昔は店が全部開いてにぎやかでした。だんだんさびれていきそうで寂しいです」
「77歳だから、あと3年はできる」
店内の雰囲気はオープン当時のままだが、小野さん自身は確実に年を取った。客が帰った後にキッチンで一人食事をし、ぽろりと本音が出る。
「本当に疲れた。今から後片付け。がんばって片付けないと」
自分を奮い立たせるように、小野さんはまた動き始める。年を重ねるとともに無理がきかなくなっていた。
「年を感じることが最近ものすごく多いです。足が痛い。うちの店がなくなったら、ちょっと座って話をするところが団地にないでしょ。今77歳だから、あと3年はできると思うんだけどね」
いつも同じ時間にやってきて、おしゃべりを楽しむ常連客がいる。
「人の名前を忘れるんよ」
「そう、言おうと思ったら名前が出ない」
「家ではテレビを相手に黙っている。だから、ここでみんなといろいろな話をする」
“年を取った話”も同年代なら笑い話に。一人暮らしの寂しさもわかり合える。常連客の一人は「長生きの秘訣は話すこと」だと言っていた。普段、話す場所がないお年寄りにとって、この店は気軽に立ち寄り、交流できる憩いの場だ。
団地内で集まるのには理由がある。ある客は「年を取ると行動範囲が狭くなるでしょ。市内中心部に出て遊ぶことがなくなるから、みんなここに集まる。ここに来れば誰かに出会えるし、愚痴も言える。この店を閉めてしまったら私たちが困るので、まだやめちゃダメと言っているんですよ」と話す。それを聞いた小野さんは笑っている。この店は、小野さんにとっても大事な居場所なのだ。
一人では味わえない幸せ
「老い」という避けられない現実。自宅では夫の栄二さん(79)と店のゆく末について話し合うことが増えた。栄二さんは「メニューをだんだん減らしたら、飲み物だけになるね。まぁ、それでも客が来てくれたらいい」と話す。
「パンと飲み物だけにして、そのうち飲み物だけとかね。できる限りはやるけど、フライパンを振るのがしんどくなってきた。無理だと思ったら少しずつメニューを減らして楽にできるようにしていくしかない。飲み物だけでもいいから店を続けてと言う人が多いから、がんばろうと思うけどね。いつまでできるか…」
しかし、常連客のことを考えると“飲み物だけ”に思い切れない。小野さんは葛藤を抱えながら、ある決断をした。ランチのメニューを減らし負担を軽くする代わりに、注文に応じて作る「日替わりランチ」を新たに加えることに。
この日の一品はナス。インターネットのレシピを参考にしながら新しい料理に熱が入る。
「ナスを焼くんだけど、おもしろい焼き方なんですよ。小麦粉やマヨネーズをまぶして多めの油で焼く。一度作ったら好評だったから。来られるお客さんも楽しみがあるほうがいいでしょ。今日は何かなって」
数種類のおかずがのった皿に、カレーの味付けをしたナスを盛り付けて完成。毎回、日替わりランチを注文する常連客たちは「珍しい料理を作ってくれる。こんなの家じゃできないもん」「いつも何が出るか楽しみ」とおいしい食事に会話が弾む。一人では味わえない幸せがここにある。
一方、ランチを提供する小野さんも生き生きとした様子だ。
「全部きれいに食べてもらえたらうれしい。やっぱり作ってあげなきゃね」
そして、客からサンドイッチの注文が入ると「はーい」と明るい声を返した。
高齢化が急速に進む団地で、一人の女性が大切な居場所を今日も守り続けている。
(テレビ新広島)