食の雑誌「dancyu」の元編集長・植野広生さんが求め続ける、ずっと食べ続けたい“日本一ふつうで美味しい”レシピ。

植野さんが紹介するのは「ホイコーロー」。川崎にある町中華「天龍」を訪れ、豚肉のうま味をまとった甘辛いみそだれが、シャキッとしたキャベツに絡む一品を紹介。

飲食の超激戦区、川崎で70年愛される理由にも迫る。

川崎は数多く訪れた町中華の激戦区

植野さんがやってきたのは、JR川崎駅。駅を出て目の前の「仲見世通り商店街」は多くの店が軒を連ねる、飲食の超激戦区として知られている。

1949年に開店し、祖父の代から3代続く、これぞ町中華な趣の「天龍」。川崎といえば、『植野食堂』でもかた焼きそばを教えてもらった「太陸」や、八宝菜を教えてもらった「成喜」など町中華の名店も多い。

大事なのは奇をてらないこと

天龍は、そんな川崎で4店舗を展開している。今回訪ねたのは仲見世店。ここから歩いて5分ほどの銀座街に他の3店舗が横並びで営業している。

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この全てを取り仕切っているのが、3代目の谷口善隆さんだ。仲見世店は4店舗の中で最も新しく、テーブル席がメインのゆったりとした雰囲気。川崎で働く人や地元の人々でいつも賑わっている。

天龍の料理はとにかく「奇をてらわないこと」。

目指すは普通においしい町中華で、初代である祖父の味を守り続けることを大切にしている。「サッと入ってパパっと食べられる、お酒が入らなくても」「30年近いよねここに通って、安いっていうのが労働者から見てみれば一番良いのかな」と常連客からも人気。

激戦区川崎で70年以上、家庭的なあたたかさも魅力だ。

店で働くか家を出るか2つの選択

初代の谷口富士雄さんは戦前、銀座の日本料理店で働いていた。戦後独立して、川崎に天龍を開店させ、味を一から作りあげた。「それを継いだのは私の父で、父が店舗展開を7店舗くらいまでして、私が3代目です」と善隆さん。

「もともと店を継ごうと思っていたんですか?」と植野さんが尋ねると、善隆さんは「それが全然。高校卒業して父に中華街に修業に行かされまして…」と否定した。

3代目の谷口善隆さん
3代目の谷口善隆さん

当時の善隆さんは、料理よりも趣味が高じてサーフショップで働き始めていた。毎日遊び呆けているようにしか見えない善隆さんの姿に、初代の祖父が遂に見兼ねて「“店で働くか、家を出ていくか考えろ”」と言ったという。

しかし、善隆さん自身も「当時行き詰っていたこともあり、料理の世界で生きていこうと思いました」と、愛ある激励を思い出深く語った。

それでも「祖父や父と同じやり方は嫌だ!」と反抗心から新メニューの開発にも挑戦したが、結局は先代たちのすごさに気づき、「天龍の味を守る」ことを目標にした。

店を手伝う次男の雄飛さん
店を手伝う次男の雄飛さん

現在、善隆さんの次男・雄飛さんも店を手伝っている。長男にはすでに銀座店を任せているそう。

子供の頃から店が遊び場だったという雄飛さんは、そんな気持ちのまま働き始めた。「最初は“親の会社だし楽できんだろ”ぐらいの気持で入りましたが、思い返すとそこがダメだった」と話す。

厨房で父と肩を並べるようになり、いろいろなことに気づきはじめ、「小学生の時は父親が帰ってくるとすごく油臭くて“ぱぱ、くさ~い”なんて言っていたけど、今自分も家に帰ると“油臭え”って思うことがある。働き始めて“料理人の父”が見えてきた。これから全部身につけてものにできたら」と決意を語った。

本日のお目当て、天龍の「ホイコーロー」。 

一口食べた植野さんは「キャベツの食感はちゃんと残る、しなっとなり過ぎない」と称賛した。

天龍「ホイコーロー」のレシピを紹介する。