アメリカ兵が沖縄戦の戦利品として持ち帰ったノートと教科書が、2024年7月、持ち主の遺族のもとに返された。
ノートの持ち主は沖縄の農業の発展に大きく貢献した人物であり、今回の返還を通して、日米の遺族の間に新たな交流が生まれた。
米兵の遺族から届いたノート
2024年6月1日、琉米歴史研究会の元に届いた1通のメール…

メールの文章
「私の名前はクラウディアキングです。父は第二次世界大戦中、沖縄に駐留していました。父が沖縄にいた間に入手した日本の書籍を、父の蔵書の中から見つけました」
琉米歴史研究会の理事長、喜舎場(きしゃば)静夫さん。

沖縄戦においてアメリカ兵は、日用品や写真などあらゆるものを戦利品として持ち帰っていて、琉米歴史研究会ではそれらを遺族のもとへとかえす活動を続けている。
Q.(戦利品のノートが)届いたのはいつ?
琉米歴史研究会 喜舎場静夫 理事長:
(6月)22日です。ちょうど沖縄の慰霊の日の前日なので、タイミング的には非常にビックリしました
アメリカ兵の遺族から送られてきたのは、2冊の教科書と1冊のノート。

表紙には「宮里清松」と書かれていて、持ち主の名前だと思われる。英語の教科書には、当時の世相を表すような例文も。
英語の例文:
「私は外国の新聞や雑誌を読んで、外国人が戦争についてどんなに思っているか知りたいのです」

教科書の至る所に赤線や書き込みがあり、持ち主が勉強熱心だったことがわかる。
ノートの持ち主は?
喜舎場理事長が広く情報提供を求めたところ、持ち主は琉球大学農学部の名誉教授だった宮里清松さんではないかという情報が寄せられた。

1921年生まれの宮里清松さんは幼いころから学問に優れ、農学を学ぶため22歳の時に九州帝国大学に入学するも、学徒出陣を余儀なくされた。

台湾やベトナムなどを転戦し、多くの仲間の死を目の当たりにしながらも、戦火を潜り抜けた清松さんは、戦後大学に復学し、卒業。

沖縄に引き上げたのち、1950年に琉球大学が創設され、清松さんは農学部で務めることになった。
貴重な第一級の資料
戦利品のノートと教科書は清松さんのものではないかと情報提供した、元・本部町教育長の田中英治さん。

清松さんは学生時代に地元・本部町の気候や風土、産業構造などについて考察した論文を執筆していて、その内容に感銘を受けた田中さんは、貴重な資料として後世に残すため、町の予算を活用して28年前に冊子化した。

田中英治さん:
こういう戦前のものの資料って、すべて消失してしまってもう無いんですよ。唯一の貴重な第一級の資料だと思うんです。見るからに誠実な、真面目な先生だなという印象でした
取材を進めると、清松さんは沖縄の基幹作物・サトウキビの研究においても多大なる功績を残した人物であることがわかった。

日本分蜜糖工業会 池間智政 事務局長:
サトウキビの栽培方法であったり、生態について網羅されている本です。技術者や研究者の方たちに求められて1回増刷を行って、今でも年に2~3冊は問い合わせが来て、そちらにはお送りしています

沖縄の農業の発展に大いに貢献したとして、清松さんは国の瑞宝章や県功労者賞を受賞し、2007年に86歳で亡くなった。
筆跡を見て確信
ノートと教科書が清松さん本人のものなのか、妻の三重子さんと長男の博さんに確認してもらった。
清松さんの妻 三重子さん:
(清松さんは)絶えずメモをとっていました。偉い人の奥さんになったねと思います

これらの返還を申し出たアメリカ兵士の娘・クラウディアさんとサヴィーナさんもオンラインで立ち会った。

琉米歴史研究会 喜舎場静夫 理事長:
英語と数学。ノートに宮里清松と書いています
はじめは本当に清松さん本人のものか半信半疑だったという三重子さんと博さんだが…
清松さんの妻 宮里三重子さん:
(筆跡を見ても)間違いないと思います。私はこれを持っているんですよ。パスポート。だから間違いない

筆跡を見て本人のものだと確信した2人。日々、机に向かい学問の道を極めた清松さんの懐かしい面影を感じ取った瞬間だった。
清松さんの妻 宮里三重子さん:
(清松さんは)いつ見ても勉強していました。私はいつも遊んでいました。優しい方でした。これはもう大事にします

琉米歴史研究会 喜舎場静夫 理事長:
(クラウディアさんも)うれしいんでしょうね、泣いています

清松さんの妻 宮里三重子さん:
私が泣くべきだけどあっちが泣いている
クラウディアさん:
私たちの父がまだ元気で側にいたら、今回の返還をとても喜んだと思います

三重子さんはひめゆり第一高女出身で、多くの後輩たちが「ひめゆり学徒」として沖縄戦の犠牲となった。
悲しみを経験した三重子さんだが、今回「戦利品」を通して繋がった遺族同士の縁を大切にしたいと話す。
清松さんの妻 宮里三重子さん:
戦争は、戦争をした人たちのことだから。その後、自分たちがちゃんと付き合っていこうと思って。こちらの方が来るんだったら、私は歓迎します

戦後の農業の復興と発展において大いに貢献した宮里清松さんのノートと教科書。
79年の時を経て実現した「戦利品」の返還を通して、遺族の間に新たな友好が生まれた。
(沖縄テレビ)