日本人の2人に1人はかかるといわれる、がん。命を守る砦ともいえる検診だが、福井県内の受診率は50%弱にとどまっている。2021年に乳がんの告知を受け、治療を続けているコートヤード・バイ・マリオット福井の総支配人、野中あずささんは、その経験から検診の大切さを訴える。仕事、家族、そして自らのキャリアと向き合った日々と、今だからこそ伝えたい想いを聞いた。
「まさか自分が」キャリア積み重ねる先に受けた突然のがん告知
コートヤード・バイ・マリオット福井では、乳がんの早期発見・治療を呼びかける10月のピンクリボン運動に賛同。客室の明かりでハートを描くライトアップなど、様々な活動を行った。この取り組みの中心には、総支配人である野中さん自身の強い思いがあった。
「実は、私自身が乳がんを経験しました。だからこそ、多くの方々に乳がん検診の大切さを理解してもらうため、何かできないかという思いで賛同しました」(野中さん)
野中さんのがんが発覚したのは、会社の健康診断がきっかけだった。再検査の連絡を受け、詳細を確認したところ、乳がんであることが判明。幸運にも早期発見だったが、その衝撃は計り知れないものだったという。
「まさか自分が、という思いでした」(野中さん)
告知を受けたのは2021年。東京から広島のホテルへ異動して1年が経った頃だった。コロナ禍でホテルの営業を統括する立場として大きなプレッシャーを感じていた時期であり、「こんなところで自分が抜けるわけにはいかない」というタイミングでの、まさかの出来事だったのだ。
「待っているから」キャリアを諦めずに済んだ、上司の力強い言葉
一人で告知を受けたクリニックからの帰り道、頭に浮かんだのは婚約していたパートナーや、職場のチームみんなの顔だった。
「もうキャリアも諦めなきゃいけないのかな」という思いがよぎった。
しかし、その不安を打ち消してくれたのは、当時の上司からかけられた力強い言葉だった。「待っているから。まずはしっかりと治して戻ってきてほしい」
その一言に、「諦めるわけにはいかない」と心を奮い立たせることができたと振り返る。
「自分が帰るべき場所があるということが、治療において非常に励みになりました」(野中さん)
手術、抗がん剤、放射線治療。現在もホルモン治療を続けながら、野中さんは仕事の第一線で活躍し続けてる。そこには、周囲の温かいサポートと、自身の強い意志があった。
「お前には、立ち上がる力がある」父の言葉と、別れ
治療を進める中で、もう一つ大きな支えになった言葉があった。それは、以前に父親からかけられた「お前には、立ち上がる力がある」という言葉。
小学生の頃から続けていたバレーボールで大学時代に大きな怪我をし、就職にも悩んでいた時期に父がかけてくれた言葉だ。不思議なことに、がんの告知を受けたタイミングで、その言葉を思い出したのだ。
実は、野中さんが広島へ異動したのは、父親が末期がんの告知を受けていたことも理由の一つだった。「少しでも近くで父の顔が見れるように」という思いからの決断だったが、その矢先に自分自身もがんの告知を受けることになってしまったのだ。
「末娘が辛い思いをするということを、父には内緒にしていました」(野中さん)
抗がん剤治療が始まるタイミングで、自身の弱った姿を父に見せたくないという葛藤を抱えていた野中さん。そんな複雑な思いの中、彼女が最初の抗がん剤治療を受けたその日に、父親は旅立ったのだ。
「きっと旅立つタイミングも、父として選んでくれたのかなと今では思うようにしています」
「当たり前のことが当たり前じゃない」病を経て気づいた、日常の幸せ
大きな病気を経験すると、人生観が変わるいわれる。野中さんも「当たり前のことが当たり前じゃないんだと、改めて思えるようになりました」と話す。
「素晴らしい環境で大好きな仲間たちと仕事ができること。家族と一緒に朝を迎え、食事を共にし、記念日を祝えること。そんな日々の何気ない一つひとつが、本当に幸せなことなのだと実感しました」(野中さん)
そして…「仕事ができることの幸せを、とても感じました」
この経験があったからこそ、ピンクリボン活動への思いはより一層強くなったという野中さん。
彼女の思いはホテル全体に広がり、パートナー企業の協力も得て、福井の夜空に美しいピンクのハートを灯すことにつながったのだ。
「乳がんを経験して辛い時間を過ごし、そこから得られたものも多かったけれど…一人でも多くの人にそういう経験をして欲しくないと思っています。悩んだり分からないことがあったりしたら、医療機関や相談窓口に勇気をもって行ってみて欲しいです」(野中さん)
