海と向きあう漁師の姿を追うシリーズ「海と生きる」。 全国トップクラスの漁獲量を誇る長崎県だが、県内で漁業に従事する人の数はこの20年で半分以下に減っている。親の跡を継ごうと漁師の道を選んだ女性がいる。
保険会社から漁師の道へ
諫早市の江の浦漁港。かつてはイワシ漁で栄えたが今では漁業を生業とする人はだいぶ減った。
この記事の画像(11枚)そうした中、1年半前にこの地で漁師になることを決めた人がいる。山崎亜由美さん(※「崎」は「たつさき」)、36歳だ。船舶免許を取り、漁業は父親の善哉さんから学んでいる。
山崎亜由美さん:すごく大変。怒られることもたくさんあるけれど、1年ちょっと一緒にやって来て認めてもらっているのも伝わってきた。その部分は頑張ってやれているかなと思う
母親の久子さんも漁を手伝っている。亜由美さんは漁師になる前は保険会社で事務の仕事をしていた。この日は仕掛けている定置網を揚げに行った。亜由美さんは漁師になって「思っていた想像以上にすごく、きついというところは日々実感していて雨が降ったりしていても生きているものを扱っているので海に出ないといけない」と自然を相手にする仕事だからこその大変さを話す。
「漁師は頑張った分だけ報われる」と父は娘に教える。
山崎亜由美さん:いいものが獲れたときがいい、やっていてよかったなあと思う
ーーなぜ漁師に?
山崎亜由美さん:漁師の高齢化が問題だというところと、高齢化に伴って後継者がいない。資源はあるのに漁業というものが衰退してしまっているので父と母が実際やっているのを見ていると大変なところもあるのでそういったところで手助けになればと、漁師になろうかなと思った
父・善哉さん:助かっている。後継ぎがいなかったらこの仕事やっていられない
母・久子さん:できるかなとは思った。もともとこの子、心臓の病気を持っていて、私たちで見たら力仕事は大変ではないかなあと思っていたが、実際やってみたら頑張ってくれている
弟と妹は漁業とは別の職業を選んだが、亜由美さんは小さい頃から見てきた両親と同じ漁師の道を歩むことにした。中学2年生と小学6年生の2人の息子を1人で育てながらの漁師修行だ。
山崎亜由美さん:子供は2人とも身近でおじいちゃん、おばあちゃんを見てきていたというのもあって「頑張っているなあ」と近くで見てくれているという感じ。特に何かを言うというのはないが
獲る漁業から育てる漁業へ
魚がだんだん獲れなくなってきたこともあり、亜由美さんの両親は育てる漁業に取り組んでいる。
ヒオウギ貝の養殖を長崎・諫早市では初めて始めた。ヒオウギ貝をかごに入れ水深4メートル前後に沈める。栄養分が豊富な2つの海域にイカダを浮かべ、約10万個のヒオウギ貝を養殖している。2センチほどの稚貝を海の中で約1年かけて育てる。カゴや貝に海藻などがびっしりと付着するので定期的な手入れは欠かせない。
「手がかかる。母ちゃんと2人でしていたがとてもじゃない。手がかかりすぎて」と話す父・善哉さん・亜由美さんが加わるようになって両親は助かっている。
山崎亜由美さん:最初のころはヒオウギのカゴを揚げるのもちょっと必死で、重くて
出荷の大きさの目安は7.5センチで、水揚げする分を持ち帰る。
養殖を始めて3年、亜由美さんの支えもありようやく軌道に乗ってきた。家に着くと研磨機で貝を磨き、表面を洗い流す。そして無菌の海水に一晩漬けると出荷できる状態になる。直売所やかき小屋、ホテルなどに届けている。
海の恵みを分かち合いたい
刺身でもおいしいが、おすすめは炭火焼きで、磯の香りがたまらないという。
山崎亜由美さんは「夢はやっぱりヒオウギ貝を多くの方に食べてもらってもっともっと盛り上げていけたらと思う」と今後の展望を語る。
亜由美さんはヒオウギ貝の養殖に期待していて2024年10月から諫早市のふるさと納税の返礼品に加わる予定で、インスタグラムでも諫早のヒオウギ貝のPRを始めた。ヒオウギ貝は橘湾中央漁協の直売所や西海市の「魚魚市場(とといちば)」などで販売しているが入荷状況は事前に問い合わせが必要だ。(1個200円程度)
両親の背中を追い、漁師として生きることを決めた亜由美さん。新たに漁業に携わる人が増え、海の恵みを分かち合えることを願っている。
(テレビ長崎)